カタニア博士の研究
研究は学術論文として発表されてはじめて世間に認知されることが多いでしょう。しかし、どのような経緯で研究を始め、進めてきたかについては、論文にはほとんど書かれていません。新聞や雑誌の記者が研究者に取材して内容を伝える場合がある一方で、研究者自身が随筆風に書籍やブログで考えや研究内容を述べることがあります。 研究者を志望する学生や初学者がそうした経験談から学ぶことは多いと思います。私自身、学生時代、そうした文章を読むことで自らの研究の参考にすることがあったし、研究を行っていく上での動機にも影響を受けていたようにも思います。
そういうこともあり、身近な学生には、研究者自身が研究の経過を記したエッセイを読むことを勧めています。ただし、学生が自ら本を購入して読むことを期待するよりも、まずはこちらで購入し、学生が気軽に手に取れるよう研究室などに揃えておくことが重要ではないかと考え、最近その準備を進めているところです。
研究室の書棚に加えたい一冊を、ここで紹介したいと思います。
米国ヴァンダービルト大学所属のケン・カタニア博士(Dr. Kenneth C. Catania)は、ホシバナモグラやデンキウナギといった一風変わった動物を対象に、神経科学や行動学の視点から精力的に研究を進め、著名雑誌に多数の論文を出版しています。2020年に『Great Adaptations: Star-Nosed Moles, Electric Eels, and Other Tales of Evolution’s Mysteries Solved (English Edition)』という自身の研究を紹介する書籍を出版しました。その日本語訳が2022年に出版されています。ずいぶん前に同書を読んで本記事を書いていたのですが、原著論文などをチェックしたりしているうちに公開が遅くなってしまいました。
翻訳のタイトルが原題とはずいぶん違っていてかなりフランクな本の印象を抱いてしまいがちですが、本格的な動物の神経科学や行動学の視点から、自身の研究を紹介するエッセイとなっています。
カタニア先生は、キモい生きものに夢中!:その不思議な行動・進化の謎をとく
↓ 上記の本についてのプレゼンテーション(英語)
https://www.youtube.com/watch?v=3gFUHFlHgGA
上記、下記にリンク先を示しているように、関連する動画をYouTubeで視聴できるようになっているのも良かったです。もちろん、原典となる原著論文も明記されています。
研究者が、自身の半生とともに、主要な研究内容を紹介してくれる本は非常に勉強になります。一線の研究者が数十年にわたって打ち込んできた研究は、もちろん一冊の本で内容のすべてを網羅することはできず、それゆえに重要トピックを厳選しさらに要約してあり、内容の濃さを感じました。
これまでも一流研究者のエッセイや自叙伝を読んできましたが、こういう本はどんなに優れた研究者でも1人1冊しか書けないのではないでしょうか。2冊目を出したとすると、やはり1冊目と重複するところも出てくるし、やや細かい話も含まれるため、1冊目よりも内容が薄くなるような気がします。例えば、たくさんエッセイを出版されているハインリッチ博士(Dr. Bernd Heinrich)でも、やはり最初の『ヤナギランの花咲く野辺で: 昆虫学者のフィールドノート (自然誌選書)』(In a Patch of Fireweed: A Biologist’s Life in the Field (Biologist's Life in the Field) (English Edition))が一番おもしろく感じられました。
また、本書の翻訳は非常に読みやすく感じました。生物系の洋書の翻訳では、生物の学名や和名の知識が不可欠で、文系出身の翻訳者ではその点に不満を感じることが多々あります。自然史系の本では渡辺政隆さんの翻訳が個人的には非常に好きなのですが、翻訳者においても次世代への引き継ぎが重要です。その点、本書の翻訳者の今後のさらなる活躍を応援したいです。
本書で紹介されているカタニア博士の研究成果を原著論文とともに箇条書きで以下にまとめてみました。
本で紹介される研究内容(と原著論文)
・ホシバナモグラの星鼻(触覚器)の各機能を大脳新皮質に正確に再現できる。
Catania KC et al. (1993) Nose stars and brain stripes. Nature 364: 493.
・ホシバナモグラは哺乳類最速で捕食する。
Catania KC & Remple FE (2005) Asymptotic prey profitability drives star-nosed moles to the foraging speed limit. Nature 433: 519–522.
・小型半水生哺乳類は水中でも臭覚を有する。
Catania KC (2006) Underwater ‘sniffing’ by semi-aquatic mammals. Nature 444: 1024–1025.
・ミミズは土中のモグラの振動を感知して地上に這い出る。
Catania KC (2008) Worm grunting, fiddling, and charming—humans unknowingly mimic a predator to harvest bait. PLoS ONE 3(10): e3472.
・ミズベトガリネズミは水中での獲物の動きと臭いを探知して捕食する。
Catania KC et al. (2008) Water shrews detect movement, shape, and smell to find prey underwater. Proceedings of the National Academy of Sciences USA 105: 571–576.
・ヒゲミズヘビは獲物(魚)の逃避先を予測して捕獲する。
Catania KC (2009) Tentacled snakes turn C-starts to their advantage and predict future prey behavior. Proceedings of the National Academy of Sciences USA 106: 11183–11187.
・ヒゲミズヘビは生まれてすぐに学習なしに獲物(魚)の逃避先を予測した捕獲方法をとる。
Catania KC (2010) Born knowing: tentacled snakes innately predict future prey behavior. PLoS ONE 5(6): e10953.
・モグラはステレオ臭覚で獲物の位置を正確に探知できる。
Catania KC (2013) Stereo and serial sniffing guide navigation to an odour source in a mammal. Nature Communications 4:1441.
・デンキウナギは電流で獲物の神経系を乗っ取り痙攣させ(存在を探知した後)硬直させて捕食する。
Catania KC (2014) The shocking predatory strike of the electric eel. Science 346: 1231–1234.
・デンキウナギは高圧電流で獲物の正確な位置を探知できる。
Catania KC (2015) Electric eels use high-voltage to track fast-moving prey. Nature Communications 6: 8661.
・デンキウナギは自身より大きな天敵に対して水上から飛び出し下顎を押し付けて感電させる。
Catania KC (2016) Leaping eels electrify threats, supporting Humboldt’s account of a battle with horses. Proceedings of the National Academy of Sciences USA 113: 6979–6984.
・デンキウナギによる水上での電撃を自らの腕で受け電流値(40–50 mA)を測定する。
Catania KC (2017) Power transfer to a human during an electric eel’s shocking leap. Current Biology 27: 2887–2891.
・ワモンゴキブリ成虫は寄生者エメラルドセナガアナバチを蹴り飛ばす。
Catania KC (2018) How not to be turned into a zombie. Brain, Behavior and Evolution 92: 32–46.
関連動画
↓ ホシバナモグラの採餌行動
↓ ヒゲミズヘビの捕食行動
↓ ミミズの逃避行動
↓ デンキウナギの捕食行動
↓ デンキウナギの防衛(反撃)行動
↓ エメラルドセナガアナバチに対するワモンゴキブリの防衛(反撃)行動
最終講義
3月も終わり、年度末です。この3月はお世話になった先生の最終講義が2つありました。1つはポスドク時代の受け入れの先生、もう1つは学生の頃から(そして)就職してからもお世話になってきた先生です。前者は最終講義と懇親会にただ参加するだけでしたが、後者は最終講義の準備(通知)などを担当しました。
最終講義は、その名の通り、最後の講義になるわけですが、人によってその内容はさまざまです。学生向けの講義通りをする人もいますが、多くはこれまで自身が行ってきた研究や、今後の研究についてお話されることが多いです。学部4年の卒論から研究を開始することが多いので、40年にもわたって研究をされてきたわけで、1、2時間の講義にすべての研究内容を紹介するのは困難です。したがって、どういう話をするか、ある程度トピックを絞る必要があります。そのトピックの選定にその先生独自の色が反映されている気がします。
また、講義では、先生自身が影響を受けたりお世話になったという方々が登場します。最終講義を行うような先生方は学生や若い研究者に影響を与えるような立場ですが、そうした先生方にも影響を与えた人たちがいるわけで、そうした影響についてお話を聴くと学問というのは代々受け継がれたものであることを実感します。まさに学問の系譜です(参考記事:学問の系譜)。
先生方の最終講義は、まさに1人の研究者の研究経歴を短時間で俯瞰できます。自分自身のライフワークや今後の研究のあり方を考える良い機会になりました(参考記事:研究をしてきた理由)。
コロナ禍によって講義のオンライン化が進んでおり、最終講義自体もオンライン配信される時代になっています。これまで大学の講義室で行われていたものが、インターネットを通じて、関係者でもない研究者や一般の人たちにも視聴可能となりつつあります。最終講義は大学がある限り存在すると思いますが、その形もいろいろ変遷しており非常に興味深く見守っています。
学問の系譜
最近はスマホ(Kindle)で本や漫画を読んだり、SNSを眺めることが多くなり、紙の本にふれる機会がかなり減ってしまいました。しかし、年末年始に家でゆっくりする時間がとれ、久しぶりに紙の本を手にすることができました。いろいろ読みたい本や読むべき本があるのですが、何気なく手にとったのが「坂上昭一の昆虫比較社会学」でした。27人が執筆しているのでどこからでも読め始めることができるため、つまみ食いしているうちに結局全部読んでしまいました。
この本では、坂上昭一博士の研究業績の位置づけや、彼の研究者として人物像について、共同研究者や指導学生、合わせて27名が執筆しています。昆虫学を真面目に勉強している人なら一度は耳にしたことがある研究者でしょう。
坂上博士は、北海道大学でミツバチなどのハナバチ類の行動や生態、分類の研究を行い、一般書も「ミツバチのたどったみち―進化の比較社会学」など多くを著しています。代表的な業績としては、ホクダイコハナバチの真社会性の発見があり、ハナバチ研究の大家Charles D. Michenerや血縁選択説を提唱した進化生物学者William D. Hamiltonとも活発な交流がありました。
この本を読んで、坂上博士が所属していた北海道大学の農学部、理学部、低温科学研究所に関わる研究者の名前が次々と登場し、北大の坂上博士をめぐる学問の系譜を実感しました。北大で昆虫を研究材料にしていたり、生態学に関わっている研究者は、どこかで坂上博士か彼のお弟子さんと接点があります。さらに研究対象となるハチの繋がりをたどれば、同様にハチを研究対象とする他大学・研究機関の研究者に行き着きます。北大関係からも、ハチ関係からも私の知人に繋がることを考えると、研究者であればどこかで接点があるものだと実感したわけです。
大学の研究室に所属した経験があったり、研究機関に所属していれば、誰でも何らかの学問の系譜に連なることになります。意識しなくてもいつの間にか繋がっているのです。
よっぽどの早熟な学生でなければ、大学を選ぶ時、研究室を選ぶ時には、自身が今後どんな学問の系譜に入り込むのかはほとんど考えていないでしょう。大学院に進んだり、研究者になって、いつの間にかどこかの系譜に名を連ねていることになるわけです。
私自身のことを考えれば、たまたま大学の卒論で扱ったガの幼虫から多様な寄生蜂(ヤドリバチ)が出現し、その多様性に興味を抱き、大学院では寄生蜂の群集生態学を研究するようになりました。ハチを勉強する中で、岩田久二雄博士の論文や著作に出会い、その流れで坂上昭一博士の研究も知ることになりました。岩田博士は日本のファーブルと呼ばれ、主にカリバチの生活史を詳しく調べ、多数の論文と専門書・一般書を著しました。岩田博士は坂上博士より一世代上のハチ研究者で、坂上博士にも大きな影響を与えたと言われています。岩田博士も坂上博士も論文だけでなく多数の著書があるため、私は大学院の頃から両博士の著作をコツコツと集めてきました。
寄生蜂を研究しはじめて20年、今は岩田博士と縁ある場所で昆虫の研究を細々と続けています。この間、寄生蜂だけでなく、いろいろな昆虫(甲虫、ガ、カマキリ)を研究対象にしてきましたが、最近になってついにカリバチにも手を出しました。学生が持ち込んだ研究テーマからはじまり、自分なりに観察をして論文も出すことができました。そういう意味で、今回、「坂上昭一の昆虫比較社会学」を読んで、自分自身も岩田博士や坂上博士の学問とどこかで繋がっているのかもしれないという意識が芽生えました。
岩田久二雄博士が取り組んだ研究の位置づけや評価については「日本の生態学―今西錦司とその周辺」の第2章「日本におけるファーブルの後継者たち」に詳しく述べられています。
論文を書くモチベーション
本日は、久しぶりに大阪市内まで出かけました。コロナ禍になって電車に乗るはまだ4回目です。ほとんど徒歩か車で生活しているので、電車や梅田の人の多さに驚きます。
私は中学生の頃から大阪市立自然史博物館に出入りしていて、学芸員さんや博物館に出入りするさまざまな人にお世話になってきました。その学芸員のお一人が退職されたため、その記念の論文集が出版されました。私も寄稿したので、その出版記念会にお呼ばれしてきたというわけです。
Insecta Shiyakeana:電子版でも出版されているみたいなので、もし気になる人はこのページでもチェックしてください。
退職記念に論文集を出版するというのは、昆虫学の分野ではよくあることで、昔は大学教授の退官の際に英語の論文集が出版されたものでした。過去形で書いたのは、今はそういう退官記念論文集が出版されたというのをあまり聞くことがなくなったからです*1。今回は、博物館関係ということで、英語論文ではなく、博物館に出入りするアマチュア研究家の方たちによる同好会誌的な日本語の記事がたくさん掲載されています。私は、こういう論文集に寄稿したことがなかったため、何を書こうかと長い時間かけて考えた結果、自身の書いた英語論文の解説記事をまとめたようなものしか書けませんでした(参考:イモムシ・ケムシの護身術)。
最近は英語論文を書く以外は、学生さんの論文を添削したり、他の研究者の論文を査読したりすることが多くなり、自分自身で日本語の論文や長文を書く機会がめっきり少なくなってしまいました*2。論文集への寄稿も苦労したし、なにより文章を書くというモチベーションが湧いてきません。考えてみると、最近は、〆切のある文章を書くよりも、自分が今書きたいテーマ(マイブーム)の英語論文を書くというのを優先しているからかもしれません。そんなことを書くと、これまで調べた研究はすべて英語論文にしているのか、と驚かれるかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。自身が長い間かけてとったデータも、卒業した学生が残していったデータも、論文になっていないものも多いです...。これは私の大きな悩みの一つです。
出版会にいらっしゃっていた先輩にも、どうやったらそうしたデータを論文にするモチベーションが生まれるのかを聞いてみました。しかし、先輩も、そうしたデータを論文化するのに同様に困っているとおっしゃっていました。論文化するのを諦めてしまえれば楽なのですが、当時は何らかの情熱を確かにもって取り組んでいたはずで、やはりもったいないという感じがするわけです。データが多ければ多いほど(かかった時間も多く)もったいないし、逆に論文にまとめるのは苦労します(時間がかかります)。
論文を書くモチベーションというのは、情熱をもって取り組んでいるその時に最高潮に達しているはずです。結局、その情熱が高い時に取り組むべきでしょう。もちろん、データを寝かせつつ、勉強し、論文を書く技術を磨き、長い年月を経たあとに良い論文を書けることもあるでしょう*3。しかし、その良い論文を書くモチベーションというのが年々低下していくのです。新しく調べたいこと、研究したいことが湧いてくるからです。
改めて感じたのは、データをとった1年以内に論文を書く、というのがベストだということです。一旦失ったモチベーションは急には湧いてきません。
「世界で」初めて...
初めて目にする現象を発見した時から研究がはじまることがあります。既存研究を調べ、その現象について、過去の文献にも観察された記述がない時、学術論文として発表する価値が増すため研究への意欲が高まります。
その現象について論文を執筆し、学術雑誌に投稿し、他の研究者による査読を経て論文が受理され、雑誌に掲載するという流れが一般的です。
そうした論文の中で、これまで誰も目にしたことがない現象の価値を述べる時、「この現象は本論文で初めて報告するものである」という文章を(通常英語で)記述することがあります。この「初めて」は当然のことながら、「日本で初めて」や「東アジアで初めて」といったように限定しない限り、「地球上で初めて」を意味します。論文では、あえて「地球上で初めて」とか「世界で初めて」とは書きません。ところが、論文が日本で紹介される時、新聞や報道などで「世界で初めて」や「世界初」という表現が使われるのをしばしば目にします。
以前から「世界で初めて」や「世界初」という表現を見るたびになんとなく違和感を感じてきました。研究者にとって「初めての発見」はすなわち「世界初の発見」であるわけで、限定する場合にのみ「日本で初めて」という表現をするからです。そうした違和感というか恥ずかしさは、「地球で初めて」とか「宇宙で初めて」という言葉を使ってみるとより感じるかもしれません(意味は同じですが大げさに感じます)。
しかし、メディアなどでは、スポーツでの「日本新記録」に対して「世界新記録」があるように、「日本初」に対して「世界初」という表現があっても自然だし、そうした表現で報道する方がより価値が高まると思っているのだと推定しています。
つまり、メディアは「世界で初めて」とか「世界初」を使いたがるものなのです。実際に、私が自身の成果をプレスリリースした際に、研究を記事にしようという記者から「世界で初めての発見」という表現を使いたいと言ってきたことがあります(自身のプレスリリースには「世界で初めて」とは書いていませんでした)。先に述べたように論文では「世界で」とは書いていなかったので断りました。しかし、記者はどうしても「世界で初めて」を使いたかったようで、食い下がってきました。結局、「世界で初めて」を記事で使う場合は別の専門家への確認が必要であるというその報道機関の方針によって(当該記者は)諦めることになりましたが(時間がなく面倒だったのでしょう)。
掲載記事へのページビューランキングについて、一部の記者から聞いたことがあるので、報道機関内部では執筆記事へのアクセス数をもとにしたなんらかの「評価」があるのだと思います。そうした評価を高めるために、「世界初」といった「インパクト」のある表現が必要ということは想像しやすいことです。
こうした「インパクト」を必要とするのは、メディアの記者だけではありません。メディアにとりあげてもらいやすいように、「世界で初めて」や「世界初」という表現を、研究者自らがプレスリリースでは表現しているのをよく目にします*1。また、「世界初」という表現は書かなくても、「この現象は本論文で初めて報告するものである」と論文には書いてしまいがちです。一方で、真に新しい発見は、わざわざこうした表現がなくても伝わるはずだという考え方があります。しかし、論文のウリをわかりやすく査読者やメディアに伝えるためにも「インパクト」を簡潔に表現した方が良いだろうという動機をもとに、結局は使ってしまうことがあります。これは、人気雑誌に論文を掲載させるためのテクニックとなりうる点において、先に述べたメディア記者と同じ誘惑にはまっているということです*2。自戒を込めて。
オンラインでの研究活動
世の中はすっかりオンラインでの講義やセミナー、打ち合わせ、会議が一般的になってしまいました。ずいぶん前からオンラインでのコミュニケーションは可能であったのですが、コロナ禍で対面が制限されるまではなかなか定着しませんでした。これは、ヒトは主に対面のコミュニケーションを通じて進化してきたことが原因だと思っています。
オンラインでの活動が一般的になって改めて感じることは、研究活動はオンラインとの相性が極めて良いということです。去年の春に「画面を共有して議論」について紹介しましたが、この1年間で感じたオンラインでの研究活動の利点についてまとめておきたいと思います。
1)論文添削
学生指導においても、共同研究においても、オンラインビデオシステム(ZoomやSkypeなど)を使って論文原稿を画面で共有しながら添削したり、改訂したりするのが非常に有用です。教育効果も(まだ実感はしていませんが)あると思っています。これは対面が制限される中で初めてやってみたわけですが、世の中が対面に戻っても、続けたい方法だと思っています。
2)議論
これも対面が制限されて初めて試みましたが、非常に有効な方法だと感じています。何より、データ、図、写真、動画などをPC画面で共有して議論できるのは素晴らしいです。対面だと小さなPC画面を横からのぞくことになり、(ラップトップなどは横から画面が見えにくい構造になっているため)非常に見えにくいのです。オンラインで画面を共有することでそうした欠点が克服されたと言えるでしょう。ただし、2名で議論するのに有用ですが、オンラインシステムだと同時に発した声が聞こえにくいため、複数人の議論にはあまり向いていない可能性もあります。大人数の場合は、声の大きな積極的な人の意見が通りやすくなりそうで、いろんな人の意見を汲み上げられるような配慮が必要だと思います(例えば、司会の人が色んな人の意見を伺うなど)。
3)ソフトの使い方
PC画面上でいろいろなプリケーションを立ち上げて、画面を共有しながら実演するのにも有用です。様々なソフトの使用方法がYouTubeなどの動画で解説されており有用ですが、リアルタイムでやるぶんそれ以上の効果があると思います。Illustratorを使ったイラストの描き方、Excelによるデータ整理・作図、Rによる統計解析、QGISの使い方などを講義やセミナーなどで実際に試みましたが良い感触でした。従来は、PCルームのような場所で大きなスクリーンに写してやっていたのですが、今後はオンラインが主流になってくるでしょう。ただし、参加者が多ければついていけない人が出るため、そうした人のフォローをどうしていくかも課題となるでしょう。
4)セミナー・学会発表
セミナーや研究会・学会(年次大会)もオンラインでの発表・聴講の機会が必然的に増えました。オンラインで画面を共有して発表を聴くのは、対面の時とは違う効果があると感じています。良い点として、本来なら会場に行かなくてはならないところを家に居ながらにして聴くことができる点でしょう。特に地方で研究している人にとっては、東京や大阪で開催されることが多い研究会やセミナーに気軽に参加できるので大きな利点となると思います(海外での国際学会への参加も同様です)。また、ビデオをオフの状態にすれば人の目を気にせずにリラックスして聴くことができるのも良い点でしょう。さらに、スライドが見やすいことです。従来はフォントや図が小さすぎたり、会場の後ろの方からだと見えにくいことが多々あったのですが、オンラインだと画面いっぱいにスライドを引き伸ばせることができるので見やすくなりました。ただし、動画については視聴者の環境に大きく左右されるので、発表者の配慮がより必要になると思います。いずれにせよ、オンラインで良いプレゼンをするにはこれまでとは違う技術が必要とされると思います。
また、セミナーや学会発表後の懇親会を楽しみにしている人も多いと思います。対面が制限される中ではそうした交流が難しいという側面もあるでしょう。ただ、この間参加した学会では、オンラインシステム(SpatialChatなど)を用いた懇親会が開催され、これはもうリアルな懇親会とほとんど変わらない印象を受けました。仮想空間(懇親会場)にアバター(参加者)がロールプレイングゲームのように移動可能で、参加者同士が接近すると会話が可能になるというもので、これはもう本当の懇親会のようでした。こういったシステムでポスター会場を作り発表を行っている学会もあるらしく、今後こうしたシステムがますます充実してくるように思います。
5)輪読
英語の教科書の輪読や、論文紹介についても、オンラインの機会が増えました。興味ある分野ではある程度の人数が集まらないと一緒に輪読ができにくい雰囲気があります。しかし、オンラインだと参加者が一同に一箇所に集結する必要がないため、全国各地から参加者を募ることが可能になります。特に地方大学で研究している学生にとっては、学会やセミナーと同様に大きな利点となると思います。
6)講義
オンライン講義の問題点が多数指摘されていますが、利点も多いと思います。1、2限など朝が早い講義にも寝起きで参加できることは利点の一つだと思います。オンラインでビデオオンが求められていないのであれば、身支も必要なく参加できるのは大きいです。これは講義を聴く学生、行う教員の両方にも言えることでしょう。
もちろん、実験や実習では対面でないと利点がないものもあります。しかし、大人数の座学の講義を聴講するために朝の満員電車に乗って登校するくらいなら、午前中はすべてオンラインの座学の講義にするべきだと思っています。朝のオンライン講義後に登校できるくらいの時間を設けた上で、午後に実習や実験など対面が必要な講義を配置すれば良いのではないでしょうか。そうすれば、満員電車の軽減にもつながるように思います。今後は、オンラインと対面をバランス良く整えたカリキュラムになってほしいと願っています。
以上、最近感じたことをまとめてみました。オンラインの技術は日進月歩。数年後、10年後にこの記事を振り返った時、どう感じるのか大変楽しみです。
生態学・進化学におけるナチュラルヒストリー
生態学や進化学は、その学問の名前で呼ばれるようになる以前は博物学(Natural History)という学問分野に含まれていました。現在の生態学や進化学の礎を築いたダーウィンやウォーレスも、彼らが活躍した19世紀には博物学者(Naturalist)と呼ばれていました。
博物学は別訳の「自然史」としても、自然史博物館や、大学の講義や研究室名として現在も残っています。ただし、博物学は科学としても学問としても、主流とは言い難いでしょう。
種の記載(分類学)は、ダーウィンやウォレスの時代から博物学の中心分野といえます。一方、生態学や進化学は近年実験的な研究が増え、データ解析、数理モデルなど、多様な手法が展開されるようになっています。行動や生活史の記載だけでは、生態学や進化学の有名雑誌にはほとんど掲載されません。これは、そうした雑誌が仮説検証を重んじるような論文フォーマットであるため、純粋な記載だけの論文には適さないためと考えられます*1
しかし、ここ最近、生態学や進化学の雑誌でも、改めて自然史的な研究に焦点をあてるべく、「自然史」コーナーとして論文が掲載されるようになりつつあります。
2021年4月現在、そうしたコーナーの現状を調べてみました。
『Ecology』
Ecosphere Naturalist
米国生態学会発行の『Ecology』と『Ecosphere』で自然史的な原著論文を掲載しています。『Ecology』誌では「Scientific Naturalist」*2コーナーとして2017年頃より、『Ecosphere』誌では「Ecosphere Naturalist」*3コーナーとして論文が掲載されています。野外で撮影した写真を足がかりに、観察結果やデータをもとに新たな仮説を提示する形の論文が多いようです。『Ecology』では2から4ページの比較的短い短報(Short Communications)的な論文が多い傾向があります。『Ecosphere』はオープンアクセスジャーナルであるため、論文掲載費(APC)が必要となります。
Natural History (Miscellany) Notes
雑誌名『米国の博物学者』から推測できるように、当初(19世紀)は自然史的な論文が多かったのですが、次第に進化学や生態学の論考が増え、最近では数理生物学の論文が多くなってしまいました。しかし、原点回帰ということで、2006年頃から「Natural History Miscellany」というコーナーで論文が掲載されはじめ、現在では「Natural History Note」というコーナー名で継続しています。当初は3,4ページの短い論文もありましたが、現在はフルペーパーと同程度の長さのものが増えている印象です。
進化生態学の専門誌においても、「Natural History Notes」コーナーとして、自然史関係の論文を掲載しています。ただ、同コーナーで掲載されている論文を見る限り、本誌の他の論文と大きく違う内容という印象はありません。
Wileyが生態学や進化学分野で出版するオープンアクセス雑誌です。2020年から「Nature Notes」というコーナー名で、論文掲載が開始されました。自然史的な観察ベースの記載的な論文が掲載されています。
Austral Ecology
南半球地域をフィールドとした生態学の専門誌においても、「Natural History Note」コーナーとして自然史ベースの論文が掲載されています。
Methods and Natural History Articles
英国王立昆虫学会による昆虫生態学の専門誌においても、「Methods and Natural History Articles」コーナーとして自然史ベースの論文が掲載されています。
熱帯生態学・保全生物学の専門誌として知られる本誌においても、2021年から「Natural History Field Notes」コーナーとして、野外観察ベースの自然史的な論文を掲載していくようです。
最近になって観察ベースの自然史の論文を掲載してくれる雑誌が増えているようですが、今後も注目していきたいところです。
続:大学院修了後の歩む道
8年ほど前に「大学院修了後の歩む道」という文章を書きました。当時は独立行政法人(今でいう国立研究開発法人)の研究所に所属していたため、その当時の仕事内容を簡単に紹介しました。その後、大学教員に転職し、さらに7年が経過しました。
学生の頃、間近で見てよく知っていたと思っていた大学教員の仕事は、自身が教員になってみてずいぶん印象が違うものだと感じています。もちろん、私の大学生・大学院生時代とは所属していた大学が異なりますし、大学自体が時代とともに大きく変わったというのもあります。しかし、やはり学生からみる教員像と、教員自身が仕事として経験した印象が大きく異なると思います。
私が体験している大学教員の主な業務については、役職によって若干異なりますが、以下の本を読んだ印象に近いと思います。
現在の私の主な仕事内容は以下のとおりです。
・講義
・研究
・研究指導
・学内業務
・学外業務
大学教員になるまではちゃんとした講義をうけもったことはなく、最初は手探りでしたが、資料を作成したりプレゼンを作るのに改めて教科書を読み返したり 、大変勉強になりました。学生時代に受けた講義で特に印象に残ったものはなかったので、どういう講義を目指すかという方針もありませんでした。ともかく「わかりやすさ」を考えながらやっています。ただ、数年経つと、「わかりやすい講義」が必ずしも学生の学力向上につながったりすることもなければ、向学心を引き起こすものではないということもわかってきました。講義ごとに改善点が見つかるため、真剣に取り組めばいつまでも向上できるものだと思います。一方で、他の仕事もどんどん増えてくるため、講義準備にどこまで力を入れるかは他の業務とのバランスとの兼ね合いとなるでしょう。個人的には、受講者が30人以下の講義が自身にはあっていると感じています。100人以上の講義は(毎回出席点ではなくなんらかの課題を与える必要があるため)採点が大変で、加えてやる気がない学生が目につくので苦手です。
自身の研究については、所属する研究室によるかもしれませんが、私自身は好きなテーマ・材料で気持ちよく研究させてもらっています。以前研究所に所属していた頃よりも自由度が増し、興味の赴くままに研究テーマを設定し自分でも満足する研究をできている実感があります。一方で、自身がデータをとったり解析したり論文を書いたりする時間は明らかに減ってしまいました。そのため、研究スタイルも、以前は長期でフィールドに出て観察や実験するのがメインでしたが、今は野外でサンプリングしたものを実験室に持ち帰って観察・実験することが主になりました。
大学に移って最も時間を費やしているのが学生への研究指導かもしれません。私自身の研究テーマを提示して学生が取り組んでもらう場合より、学生のやりたい材料やテーマをサポートしていく場合が多いです。学部3,4年生、修士1,2年生、博士(後期課程)1〜3年生のいずれも対象としています。大学に移動してくる前までは、他の研究者との共同研究しかしたことがなく、せいぜい大学院生時代に先輩・後輩学生と一緒に研究していたくらいで、学生の研究指導はしたことがありませんでした。したがって、手探りでのスタートになりました。正直、学生とのやりとりを通じて、学生の成長うんぬんというよりも、私自身が教育されているという印象しかありません。私自身の研究についての知識や技術というのは大学に来る前と後ではほとんど変わっていないのではないかと思います。昔書いた論文草稿とか査読コメント、論文改訂原稿などを見直すことがありますが、ほとんど成長というものを感じません。しかし、学生とのコミュニケーションや指導方法についてはイチからのスタートでしたので、最初と今では全く異なるものになっていると思います。といっても、指導方法が必ずしも向上しているとは限らないところが難しいところです。正直、学生の考えたアイデアや書いてきた文章に、どこまで指導教員として口を出すか手を入れるかが非常に難しい。かなり手を入れると結果はより良くなる場合でも、学生の成長につながっているかどうかはわかりません。また、それによって自身の学生が奨学金などに採用されたとしても、(ある程度)自力でがんばっている(他の指導教員の)学生が不採用だった時に、本当にこれで良かったのかという悩みが消えません(本来ならより優秀な学生が採用される機会を奪っているのではないか、など)。これについてはまだ答えが出せず、一生たどりつけないかもしれません。
自身が学生の頃、大学教員を見ていても全くわからなかったことが学内業務についてです。これは当然のことで、教員が学生に学内業務について話せないことがけっこうあるため、当然のことながら情報がほとんど伝わってこなかったからでしょう。カリキュラムについて、各種委員会、入試業務、本当にいろいろあります。ただ、研究所にいた頃と違い、組織防衛のための業務というよりも、学生のためを考えた仕事がけっこう多いので、個人的にはその点はやりがいを感じるところもあります。一方で、学内業務を行うために資格が必要で、国家試験まで受けさせられたのはやや閉口しましたが(例えば、巡視のための第一種衛生管理者試験など)。
学外業務というのは、大学以外に依頼された仕事とここでは定義します。学術団体や学会からの依頼仕事(大会運営、支部会・全国大会準備、論文査読、編集など)に加えて、国や地方公共団体の委員としての役割などがあると思います。これはある程度自分の裁量で断ったり引き受けたりすることができるのですが、根回しをされると断れないことがしばしばあります。年によっては意外に多くの時間を費やされることもあります。
私は、幼少期から昆虫に興味を持っており、昆虫採集や観察を行い、その後大学・大学院に進学し、昆虫を材料とした生態学の研究を行ってきました(参考:昆虫少年の歩む道)。その後は、昆虫を中心にさまざまな生物の研究を行い論文を書いてきました。このように昆虫研究者としてやっていく一方で、職業としてはいろいろな技術や知識が求められているのだと感じています。
画面を共有して議論
共同研究を行う時や、論文指導をする時される時、同じ資料(論文、プレゼン、データシート)を眺めながら議論する状況があると思います。
私がハワイに留学していた際、受入研究者の先生から論文指導をしていただく機会がありました(以前の記事:英文の個人差)。その際、同じパソコンの画面を見ながら論文の構成や英文について丁寧に教えていただいたのが大変印象に残っています。日本ではそういう経験がなかったので、それ以来、論文指導の理想はこうあるべきだと思ってきました。
現在、学生に論文指導をおこなう機会も増え、ハワイの経験を元に椅子を並べて論文の改訂などを一緒にするようになりました。しかし、デスクトップPCの前に二人で並ぶには日本の研究室が狭すぎ、ノートPCだと二人で覗き込むには画面が小さすぎ、加えてパーソナルスペース(対人距離)の問題も生じます。肩が接するほどのパーソナルスペースで議論するのに抵抗がある日本人は多いでしょう。次第に、論文はMicrosoft Wordの変更履歴やコメント機能を使って原稿をただ返すだけというようになってきました。
しかし、昨今の感染症の流行で、対面の講義や少人数セミナーでさえも制限される事態となりつつあります。そうした中、ビデオ会議システムを使って、講義やセミナーを行おうという流れがでてきています。そこで、私たちの研究室でも、こうしたシステムを利用してセミナーを試そうという流れになりました。デスクトップ用SkypeやZoomには、デスクトップ画面やファイル(書類や動画)を共有する機能がついており、パワーポイントなどのプレゼン(スライドショー)を多人数で閲覧しながら議論も可能です。これを試しているうちに、通常の論文指導や共同研究の打ち合わせもこのシステムを使えば容易にできることに気づきました。
つまり、片方の人が論文のファイルを開いて、文章ごとにどういうふうに改訂すれば良いかを議論し、そして実際にリアルタイムで文章を改訂していくのを両者で確認しながら進めることができるのです。これは、離れた場所でも可能ですし、同じ部屋の中でも可能です(ただし、同室での場合は、片方の音声をミュートしておかないとハウリングが起こります)。
もちろん、論文指導の場合、学生からみれば、リアルタイムでダメ出しされるので嫌だという人もいるかもしれません。ただ、同じ資料を見ながら議論できるという意味で、共同研究としてはかなり使えるツールとなってきそうです。他には、データの解析方法や、ソフトの使用方法などを実演しながら教えるのにも使えそうです。