論文を書くモチベーション
本日は、久しぶりに大阪市内まで出かけました。コロナ禍になって電車に乗るはまだ4回目です。ほとんど徒歩か車で生活しているので、電車や梅田の人の多さに驚きます。
私は中学生の頃から大阪市立自然史博物館に出入りしていて、学芸員さんや博物館に出入りするさまざまな人にお世話になってきました。その学芸員のお一人が退職されたため、その記念の論文集が出版されました。私も寄稿したので、その出版記念会にお呼ばれしてきたというわけです。
Insecta Shiyakeana:電子版でも出版されているみたいなので、もし気になる人はこのページでもチェックしてください。
退職記念に論文集を出版するというのは、昆虫学の分野ではよくあることで、昔は大学教授の退官の際に英語の論文集が出版されたものでした。過去形で書いたのは、今はそういう退官記念論文集が出版されたというのをあまり聞くことがなくなったからです*1。今回は、博物館関係ということで、英語論文ではなく、博物館に出入りするアマチュア研究家の方たちによる同好会誌的な日本語の記事がたくさん掲載されています。私は、こういう論文集に寄稿したことがなかったため、何を書こうかと長い時間かけて考えた結果、自身の書いた英語論文の解説記事をまとめたようなものしか書けませんでした(参考:イモムシ・ケムシの護身術)。
最近は英語論文を書く以外は、学生さんの論文を添削したり、他の研究者の論文を査読したりすることが多くなり、自分自身で日本語の論文や長文を書く機会がめっきり少なくなってしまいました*2。論文集への寄稿も苦労したし、なにより文章を書くというモチベーションが湧いてきません。考えてみると、最近は、〆切のある文章を書くよりも、自分が今書きたいテーマ(マイブーム)の英語論文を書くというのを優先しているからかもしれません。そんなことを書くと、これまで調べた研究はすべて英語論文にしているのか、と驚かれるかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。自身が長い間かけてとったデータも、卒業した学生が残していったデータも、論文になっていないものも多いです...。これは私の大きな悩みの一つです。
出版会にいらっしゃっていた先輩にも、どうやったらそうしたデータを論文にするモチベーションが生まれるのかを聞いてみました。しかし、先輩も、そうしたデータを論文化するのに同様に困っているとおっしゃっていました。論文化するのを諦めてしまえれば楽なのですが、当時は何らかの情熱を確かにもって取り組んでいたはずで、やはりもったいないという感じがするわけです。データが多ければ多いほど(かかった時間も多く)もったいないし、逆に論文にまとめるのは苦労します(時間がかかります)。
論文を書くモチベーションというのは、情熱をもって取り組んでいるその時に最高潮に達しているはずです。結局、その情熱が高い時に取り組むべきでしょう。もちろん、データを寝かせつつ、勉強し、論文を書く技術を磨き、長い年月を経たあとに良い論文を書けることもあるでしょう*3。しかし、その良い論文を書くモチベーションというのが年々低下していくのです。新しく調べたいこと、研究したいことが湧いてくるからです。
改めて感じたのは、データをとった1年以内に論文を書く、というのがベストだということです。一旦失ったモチベーションは急には湧いてきません。