研究をしてきた理由

 年度末の大学では、退職される先生の最終講義というイベントがあります。研究所でも、退職される研究員の方が最後のセミナーをして送別会が催されることもあります。この度の震災で、いろいろ変更があったのですが、所属している研究所でも3月末に退職される方の最終セミナーを聞く機会がありました。


最終講義やセミナーの内容には主に二つがあるように思います。一つは、ご自身の研究成果を紹介する場合と、もう一つは研究歴や研究についての思い出について語られる場合です。後者の方が専門外にもわかりやすいし、個人的には好きです。


なぜ研究者になろうと思ったのか、なぜこの研究所に入ったのか、なぜ関連プロジェクトで研究を行うようになったのか、なぜ留学したのか、なぜこういう発見ができたのか? 偉大な研究者であれ、普通の研究者であれ、こういう話を聞くのが個人的には好きです。


自分の考えやスタイルと近いこともあるだろうし、全く異なることもあるでしょう。こういう話を聞くのが好きなのは、自分の立場や考え方を相対的にみる良い機会だからだと思います。優越感にひたるのでもなく、劣等感を抱いたりするのでもなく、なるほど、そういう考え方もあったのか、といったヒントにもなりうるでしょう。


科学論文には、研究の位置づけと方法、結果のみが記されているだけで、なぜこの研究を行ったかという個人的な話はほとんど出てきません。むしろ個人的な感想は論文には書いてはいけないという認識があるようです。


私の好きな生態学者であるハインリッチ(Bernd Heinrich)さんは、自叙伝的エッセイ「ヤナギランの花咲く野辺で―昆虫学者のフィールドノート」の中で、研究論文に書けないような逸話をあえて記したかったと語っています。


 他人の研究に関する動機なんて全く興味がないという人もいるでしょう。しかし、研究は人が主観を持ってやるものであるから、その行いと思慮に興味をもつのもまた自然だと思います。


昨今、科学論文にも本文に書けなかった詳細な方法や結果を電子ファイルといった形で補遺を設けることができます(参考)。研究アイデアを思いついた着想や経緯について、補遺として書けるような土壌が生まれたらおもしろいかもしれません。