カブトムシと樹液

 子供の頃からずっと昆虫採集を続けてきましたが、今年ほどカブトムシをたくさん採集した年はなかったでしょう。たくさんの個体を必要とする案件があったからですが、今の職場の構内だけでかなりの数を採ったと思います。実家は大阪の住宅街にあって、少年時代はカブトムシとはほとんど縁がありませんでした。今の職場は程よい田舎にあって、しかも構内には堆肥が積んであるので、そこで幼虫が発生しているためか、個体数はとても多いのです。クヌギの樹液は良い採集ポイントですが、腐ったバナナを使って効率的にたくさん採集できました(参考)。



クヌギの樹液で戦うカブトムシの雄たち


 去年くらいから構内で樹液の虫を観察しています。樹液には大きく分けると二種類の原因があるようです。一つはボクトウガの幼虫による食害、そしてもう一つがシロスジカミキリの産卵とそれに続くさまざまな昆虫による食害によるものです。


 ボクトウガの幼虫の行動については「樹液をめぐる昆虫たち」に詳しいのですが、その原典の論文も日本語で書かれていて大変興味深いものです。要約すると、ボクトウガの幼虫は、樹皮下にもぐり形成層を齧ることで、樹液が滲出し、それに集まる昆虫の中で体が柔らかいものについてはボクトウガ幼虫は引きづり込んで食べてしまいます。ガの幼虫の中に、他の昆虫やカタツムリを食べる捕食性のものはしばしば知られていますが、樹木に樹液を出させてそれに誘因された昆虫を食べる、というのは非常にインパクトのある話です。ただし、「樹液をめぐる昆虫たち」では、ボクトウガの幼虫の糞には植物質のものが多く混ざっているので小昆虫だけを食べているわけではないと推定しています。職場構内の樹液で夜間にじっくり観察してみると、割れ目からボクトウガ幼虫が頭を出し、樹液を訪れる昆虫の足が頭をかすめると、強力なアゴで噛み付いているのを何度も目にしました。しかし、たいていは丈夫な甲虫の足が多く、捕食には至りませんでした。個人的には、エサ昆虫を誘き寄せるために樹液を出させるというのは魅力ある仮説ですが、やはり植物質も多く食べているようにも思います。いずれにせよ、我々が親しんできたクヌギの樹液の多くは、ボクトウガの幼虫による齧り行動によって滲出しているというのは大変おもしろい現象だといえます。



樹液の滲出原因となるボクトウガの幼虫


 そしてもう一つの原因であるシロスジカミキリです。これは研究所の構内でも生息していますが、かなり大きなカミキリムシの一種です。ボクトウガが利用している木よりも若い木の幹に特徴的な産卵痕を残すので目立ちます(参考:高桑 2007 PDF:1.6MB)。産卵痕とふ化した幼虫による食害により樹液が滲出するようで、多くの昆虫が訪れ、さらなる樹液の滲出を促します。ただ、ボクトウガの幼虫は6月から秋頃まで連続的に樹液を出させているのに対し、シロスジカミキリによってできた樹液は涸れやすいという印象があります。暑い夏に樹皮がべっとりと濡れるほどに樹液を出すには、ボクトウガ幼虫のような連続的な刺激が必要なのかもしれません。


もちろん、シロスジカミキリによってできた傷にボクトウガ幼虫が住み着いた場合のように、複数の原因によって樹液が出ていることもあるでしょう*1


文献
市川俊英・上田 恭一郎(2009)ボクトウガ幼虫による樹液依存性節足動物の捕食-予備的観察. 香川大学農学部学術報告 62 (115): 39-58.


高桑正敏(2007)雑木林におけるシロスジカミキリと好樹液性昆虫はなぜ衰退したか? 神奈川県立博物館研究報告(自然科学)36:75-90. (PDF:1.6MB


Yoshimoto J, Nishida T (2007) Boring effect of carpenter worms (Lepidoptera: Cossidae) on sap exudation of the oak, Quercus acutissima. Applied Entomology and Zoology 42:403-410.


 やっぱり夏は樹液の昆虫を観察するだけで何かこうワクワクするものがこみ上げてきます。


樹液をめぐる昆虫たち

 漢字にルビがうたれた子供向けの本ですが、最新の知見も取り入れられていて楽しく読めます。自身の幼少時代なら間違いなく図書館で何度も借り出して読んだに違いありません。


カブトムシとクワガタの最新科学

カブトムシやクワガタの雄同士の闘争行動を観察してきた研究者が、進化生態学的な観点から解説されています。こんな大型昆虫を研究テーマにできることこそ平和な世の中を象徴しているかもしれません。


樹液に集まる昆虫ハンドブック

 樹液の昆虫群集を観察するには書かせないハンドブックです。職場構内の樹液では、大型昆虫としてカブトムシの他に、ノコギリクワガタコクワガタ、カナブン、クロカナブンシロテンハナムグリオオスズメバチゴマダラチョウヤマトゴキブリなどが多く見られます。中でも実家周辺では見たことがなかったクロカナブンの多さには驚きました。

*1:人為的な傷でも樹液が出ることはあるようですが、滲出し続けるには何らかの連続的な刺激が必要とされるでしょう。