ハワイのファイトテルマータ

 自然をどう観るか、という「自然観」は人によってさまざまでしょう。物理学者がみる自然と生態学者がみる自然では、おそらく同じものをみても全く異なった「もの」をみているに違いありません。


生き物のあり方をみる生態学者の自然観もまた人によって異なるでしょう。私が大学院生の頃に読んだ本ですが、この本によって興味深い「自然観」を知ることができました。これを読んだ後には自然の見方が大きく変わったような気がします。



ファイトテルマータ:生物多様性を支える小さなすみ場所


 「ファイトテルマータ(Phytotelmata)」というのは、「植物上にできた水たまり」を指す専門用語です(ギリシャ語 phyton + telm = 英語 plant + pond)。例えば、竹の切り株に水がたまっているのをみたことがある人は多いでしょう。この水たまりにはボウフラ(蚊の幼虫)がたくさん生息しています(そのため竹林のそばでは猛烈に蚊に刺されます)。他にも樹洞にできた水たまり、ウツボカズラ(食虫植物)の壺にたまった水たまり、ココナツの殻にたまった水たまりなど、多くのファイトテルマータが知られています。


上記の本では、世界中のさまざまなファイトテルマータを紹介するとともに、そこに棲む生物の多様性とその複雑な種間相互作用が丁寧に解説されています。この本を読むと、森を歩く度にファイトテルマータが気になってしまうほどです。


 登場する生物は、原生動物とか、藻類とか、昆虫でもカの幼虫とか、生き物好きにはちょっとつまらない生物が多いかもしれません(ただしオタマジャクシが見られる場合もあります)。しかし、それぞれの水たまりには生物間の食う食われる関係(食物網)が見られ、小さいながらも独立した生態系と考えることもできます。個々の水たまりを島と捉えると、島(水たまり)のサイズと種数の関係が見られるし、島(水たまり)の形成にともなう種の移入と絶滅さえも観測できます(参考)。つまり、ファイトテルマータは生態学にとって優れたモデルシステムなのです。また、熱帯地域など伝染病を媒介する蚊の発生源としても、ファイトテルマータは注目されてきました。


 さて前置きが長くなりましたが、ハワイならではのファイトテルマータを観察する機会がありましたので、ご紹介したいと思います。



イエイエ(ハワイのツルダコ属固有種)


 ハワイのヨコエビ類でも紹介しましたツルダコ属の一種イエイエ(Freycinetia arborea)です*1。ちょっと山にいけば比較的普通に見られる固有植物の一種です。特に雲霧林のような環境下では、イエイエの葉腋(葉のつけ根の茎に面した部位)には雨水がたまりやすく、ごく小さなファイトテルマータが形成されます。



イエイエの葉腋にできた水たまり(青矢印)


 イエイエの葉腋を丹念に調べるとヨコエビ類が見られることは先の通りです(参考:樹上に進出したヨコエビ)。さらに水たまりを調べると、なんとヤゴがみられるのです!



イエイエの葉腋に潜むヤゴ


 このヤゴはハワイイトトンボの一種(Megalagrion koelense)の幼虫です(参考:ハワイの珍奇なる虫たち7 陸生のヤゴ)。この種は主にイエイエの葉上で産卵し、孵化した幼虫は葉腋(の水たまり)で生活するという興味深い習性を持っています。実際、写真のように成虫がイエイエの葉上に見られることがあります*2。



イエイエ葉上のハワイイトトンボの一種


 イエイエの葉腋にはヨコエビ(固有種)やミミズ(外来種)、小昆虫(固有・外来種)などが生活しており、ヤゴはこれらをエサにしているのでしょう。


ハワイ固有植物にできた水たまりに固有の昆虫が生活しているというのは、やはりそれだけで価値のあるもののように感じます*3。


参考文献
Howarth FG, Mull WP (1992) Hawaiian Insects and Their Kin. University of Hawaii Press.


Maguire B Jr. (1971) Phytotelmata: biota and community structure determination in plant-held waters. Annual Review of Ecology and Systemetics 2: 439-464.


 ファイトテルマータは植物が生育するところならどこでも見られます。一度じっくり観察すると興味深い生き物に出会えるかもしれません。



*1 イエイエは、沖縄のツルアダンや小笠原のツルダコ(タコヅル)で知られる Freycinetia 属のハワイ固有種です。小笠原のツルダコの葉腋にもファイトテルマータが見られますが、なんと固有のアワフキムシの幼虫が自らの泡で水たまりを維持しています。


*2 ハワイイトンボ類23種のうち、一部の種でファイトテルマータを繁殖場所として利用し、他の種は小川や池を利用しています。


*3 ファイトテルマータを利用するトンボはハワイだけに限らず他の熱帯林でも見られるようです(参考:ファイトテルマータ:生物多様性を支える小さなすみ場所)。