トキはなぜ絶滅しなかったのか

 日本で「絶滅」といえば「トキ」、「トキ」といえば「絶滅」というほど種の保全のシンボルになっています。これはトキ*1の学名が Nipponia nippon という、いかにも日本固有種のような名前が大きく関係しているのかもしれません。また、日本での野生絶滅へと至る道筋が明確に映像化・紹介されたという意味でも象徴的なのでしょう。しかし実際には、トキは日本の固有種とも絶滅種ともされていません。


 なぜトキは絶滅しなかったのでしょうか。絶滅しなかった理由を知るのも新鮮な見方かもしれません。



シーボルト編纂のファウナ・ヤポニカに画かれたトキ(Wikipediaより


 トキはもともと南は台湾から北は極東ロシアまで東アジアに広く分布していたと考えられています。国で言えば、中国、北朝鮮、韓国、日本、ロシアといったあたりです。多くの地域では20世紀中頃には絶滅しました。日本では1981年に佐渡島に残った5羽を捕獲した時点で「野生絶滅」が確定的となりました(その後2003年に最後の1羽が死亡)。


 一方中国では20世紀中頃には絶滅したと考えられていたのですが、1981年に内陸部にて再発見されました(日本で野生個体をすべて捕獲したのと同じ年)。しかし再発見された個体群は、わずか2ペアの繁殖個体と3羽の雛というわずか7羽からなるものでした(日本での最後の野生個体群とほぼ同じ)。


 中国政府は再発見後、生息地周辺での狩猟、伐採、農薬のすべてを禁止しました。また、即座にトキ保全・観察ステーションが発足されその保全のための活動が開始されました。この徹底した保全対策によって、1981年の2ペアから2001年には70ペアへと劇的に回復しました。2005年の野生個体群サイズは550羽ということです。この個体群の回復過程についての分析結果が発表されています*2


 1981年7羽のトキが中国の中部、秦嶺山地(Qinling Mountain)にて再発見された。この個体群は、この20年の保全活動によって、500羽にまで回復した。この個体群の成長パターンは、20年間で直線的な増加を示したわけではなかった。


 1981年から1992年の期間は、トキ個体群の生息域は標高1000m以上(-1300m)の地域に限られており、20羽以下の小さな個体群にもかかわらず密度依存的なパターンを示していた(個体群サイズが大きくなると成長率が抑えられ、小さくなると成長率が増加し、結局10年間で個体群サイズは大きくならなかった)。高標高域の生息地での限られた資源によって、エサや他の資源をめぐる(種内)競争があったのかもしれない。


 1993年以来、個体群は標高1000m未満の地域(600-900m:かつて繁殖していた生息地)へ戻り、指数関数的な増加を示すようになった。高標高域と低標高域との間で、雛の巣立ち率は変わらなかった。低標高域での急速な増加は、主に繁殖個体群サイズの増加と人為的な撹乱の減少によるものだった。


 これらの結果から、トキは本来低標高域に第一の生息地があり、高標高域は二次的な生息地であった可能性が高い。


文献
Wang G, Li X (2008) Population Dynamics and Recovery of Endangered Crested Ibis (Nipponia nippon) in Central. Waterbirds 31(3): 489-494.


 中国では1950年以前の分布域は標高250mくらいだったそうです。その後、人口密度の上昇とそれにともなう人為的な影響が大きくなり低標高域からは姿を消し、人為的な影響の少ない高標高域にのみ残ることになったそうです。


中国だけでなく東アジアの広い地域を対象にして、その分布域の変遷と環境要因が解析されています。


 東アジアにおけるトキの減少パターンを明らかにするために、GISデータベースを使って環境要因(標高、湿地、人の活動)と分布記録の変遷(時期不明、1950年以前、1950-1979年、1980-2000年)との関係を調べた。


結果、トキの分布域は湿地密度が高く人為的な影響の強い地域から、徐々に標高が高く人為的な影響の小さい地域へと移動していった。1980-2000年には、標高が高く、湿地が少なく、人為的影響(肥料・殺虫剤、冬季の水田の乾燥化、狩猟)の低い地域にとどまっていた。



文献
Li X et al. (2009) Why the crested ibis declined in the middle twentieth century? Biodiversity and Conservation 18: 2165-2172.


 本来、主な生息域は標高が低く湿地の多い地域であったのは間違いありません。また、そういった地域では稲作が盛んで人口密度が増加し、狩猟圧やその他の人為的な撹乱が大きくなっていたのでしょう。例えば、トキは脚で直接かき回してエサを探すので、稲などを押し倒す害鳥として農民たちに嫌われてきました。


 人に追われた結果、日本では人口密度の低い半島部(能登半島)や島(佐渡島)で*3、中国では山地帯(秦嶺山地)で残存したのでしょう。


 日本で最後の生息場所となった佐渡島の個体群は、1958年の6羽から1981年の5羽にいたるまで全く回復しませんでした。これは中国の残存個体群も1981年から1992年の期間ほとんど回復しなかったのと類似しています。


中国での個体群が回復した大きな要因は何だったのでしょうか。ポイントは、1993年に個体群が低標高域へと移動したことです。トキが採餌する生息地(湿地、水田、溜池)は低標高地域の方が高標高地域よりも2倍以上の面積があることが、エサをめぐる競争を緩和させたのかもしれません。この移動の背景として、低標高地域での繁殖場所や採餌場所の質・量の改善や人為的な撹乱程度の削減を行ったこと大きいでしょう。


つまり、個体群が残った地域の保全だけではなく、近隣の本来生息に適した場所の環境を改善したということが重要だったのでしょう。

*1:中国産と日本産のトキは同一種とされています。最近、中国産のトキを日本に導入しましたが、これについては別の機会に論じたいとは思っています。

*2:飼育下での人工繁殖による回復も成功していますが、ここでは野生個体群のみのを扱っています

*3:日本の残存個体群は中国に比べて低標高域にあったものの、島や半島といった隔離された環境にありました。つまり島や半島はもともと主要な生息地ではなく、人口密度が低いため残存したにすぎないのかもしれません。