ドラッグの植物誌

 「米国内で流通するドル紙幣の90%がコカインに汚染」されているらしい(ナショナルジオグラフィックニュース)。


 流通過程でごくごく微量のコカインが付着しているようで、日本でも12%の紙幣に確認されているので、世界中に広がっているのでしょう。


 ハワイでも「あのバーでは違法ドラッグが売り買いされている」といった噂や、お呼ばれした家の近所からマリファナ大麻)の香りが漂ってきたりしたことがありますが、私自身はもちろんブツを直接見たことさえありません。


 違法ドラッグの代表格、コカイン、アヘン、マリファナは、植物が原材料で、もともとは(今でも)医療や薬用に使われてきたもので、人との関わりの歴史は長いのです。以下に代表的なドラッグ原料植物についての自然史を調べてみたのでまとめておきます。違法ドラッグとは異なりますが、中毒症状や人体への影響があるタバコやコーヒーもついでに入れておきました。


(1)コカノキ


 麻薬の代表的なものとしてあげられるコカインは、南米原産のコカノキ(Erythroxylon coca)という樹木の葉に含まれるアルカロイド成分です。原産地では、葉を干したもので熱い湯をそそぎお茶として飲まれているそうです。ただし、化学物質を使って生成されるコカインには精神作用や依存性があるようで、麻薬として各国で禁止され取り締まれているのです。



コカノキ(Wikipedia より


葉のアルカロイド成分ということから、明らかにこれは植食性昆虫に対する防御物質としてコカノキが進化させてきたものでしょう。実際、コカノキの葉の食害はほとんど見られず、その成分はガの幼虫や蚊をも殺すそうです(Nathanson et al. 1993. PNAS 90:9645-9648)。しかし自然界の常として、この防御物質を突破して利用する植食性昆虫(ガの幼虫)がいるものです。 ドクガ科の一種(Eloria noyesi)はもっぱらコカの葉を食べるスペシャリストで(Chen et al. 2005. Gene 366:152-160) 、コカの栽培を防止するためにこの虫を放つという方策さえも検討されているとか。コカノキとスペシャリスト昆虫との軍拡競争の産物として、コカインが生まれたのかもしれません。


ちなみにコカノキの花は、異型花柱性と呼ばれる構造をもっています(Ganders 1979. Botanical Journal of the Linnean Society 78:11-20)。異型花柱性というのは、雄しべと雌しべの長さに二つのタイプ(長い雄しべと短い雌しべ、短い雄しべと長い雄しべ)があって、同系交配を避けるために同じ型同士の受粉がなされないような仕組みです。このような植物は、昆虫などに花粉媒介を頼っている種から進化します。そういえば、異型花柱性というメカニズムをサクラソウではじめて発見したのは、かのダーウィンです。


 熱帯原産の樹木で、しかも複雑な受粉様式をもっていることからも、個人で違法に栽培している人を聞いたことがないのもうなづけます。


(2)ケシ


 アヘンによって戦争にまで発展したのはあまりにも有名です。麻薬の一種アヘンは、一年生の草本植物であるケシ(Opium poppy)の開花後の未熟果から採取される物質です。野生下で原種が発見されていないほど栽培植物としての起源は古く、地中海または東ヨーロッパに原産地があったと考えられています。



ケシ(Wikipedia より


花は美しく、いかにも昆虫が花粉媒介していそうです。実際、オーストラリアのタスマニア島で栽培されているケシの観察から、ミツバチやハエ類などの昆虫によって送粉されているようです(Miller et al. 2005. Australian Journal of Agricultural Research 56: 483-490)。また、訪花昆虫によって、他家受粉ばかりでなく自家受粉もおこなわれています。タスマニアにはもともとミツバチも分布していませんが、原産地と考えられるヨーロッパにはいるので、セイヨウミツバチをはじめ他のハナバチやハエ類が主な送粉者(ポリネーター)であったのでしょう。


 一年生の草本で自家受粉もするようなので、栽培しやすい植物なのかもしれません。しかしその受粉には訪花昆虫が必要なので野外で栽培する必要があり、美しい花を咲かせるので摘発されやすい植物であるともいえます。


(3)アサ


 中毒性はないと言われるものの精神作用のある大麻マリファナ)は、アサ(Cannabis sativa)の葉や花穂を乾燥させたものです。原産地は中国奥地にあるといわれているものの、他の国々や、日本でさえもかなり古くからその分布が知られています。その花の形態をみても、実際長距離に花粉が飛散することからも、風媒によって送粉されるようです。



アサ(Wikipedia より


 草本で、風媒で、処理も容易で、地味で目立たないので、違法に栽培しやすい植物なのでしょう。
 

(4)タバコ


 神経伝達物質に作用したり中毒性を引き起こすニコチンは熱帯・亜熱帯性の一年生草本であるタバコ(Nicotiana spp.)の葉内に多く含まれるアルカロイド成分です。


タバコの原産地は新大陸の熱帯および亜熱帯地域にあるとされており、現在では世界中で栽培されています。



タバコ(Nicotina tabacumWikiepdia より


 コカインと同様、葉に含まれるアルカロイドの一種なので、もともとは植物が植食性昆虫に対する防御物質として進化させてきたものでしょう。


タバコの花は、ハナバチ類や鳥類が訪れ送粉しているようです(Roubik ed. 1995. Pollination of Cultivated Plants in the Tropics )。


(5)コーヒー


 コーヒーに含まれるカフェインは、中毒性を引き起こしやすいことでよく知られています。コーヒーは、コーヒーノキCoffea spp.)の種子を焙煎、粉砕した後に湯や水で抽出したものです。Coffea arabica は、アフリカのエチオピア高地に原産地があり、現在では世界中の熱帯、亜熱帯地域で栽培されています。



コーヒノキ(Coffea arabicaWikipedia より


 コーヒーノキの花にはミツバチをはじめ多くのハナバチ類、ハエ類が訪れるようです(例えば Roubik 2002. Nature 417:208)。世界中の人たちが好んで飲むコーヒーは、熱帯のハナバチたちによって支えられていると言って良いかもしれません。