泳いで海を渡るネズミ

 本来分布しないはずのネズミが人間の活動を通じて侵入し、島の生物相や生態系に与える影響は深刻です(参考)。ネズミ類は、在来植物の種子を食害し更新を妨げたり、在来鳥類の卵やヒナ、また昆虫、陸貝を捕食したりします。また、島に限らず、ネズミ類は悪名高いペストの発生源であるし、広東充血線虫の終宿主でもあり*1、農作物を食い荒らすこともあるし、人の健康や生活に与える影響も大きなものです*2。


 ネズミ類は、停泊中の船に出入りすることで世界中の島々に分布を広げて来たといわれています。しかし、人がいないはずの無人島にもしばしば高密度でネズミが住んでいることは古くから知られています。どのように島に渡ったのか。氷河期に海水面が低下したときに陸続きになって渡ったのか、また難破船と一緒にたどり着いたのか、それとも大きな漂流物と一緒に流れ着いたのか。しかし最も単純な方法として自力で海を泳いでいるのではないか、という考え方があります。実際、昔からそれを裏付ける観察例があるようです。


 例えば、民俗学者柳田國男の「海上の道」には、興味深い記述がみられます。


 ともかくも鼠が海を渡って行くのには、たった一ぴきだけでは冒険をしなかったようである。前にも言っておいた瀬戸内海の西部、伊予の黒島の話というのは、「古今著聞集」の巻二十に記録せられて、古い話であるが作りごとではなかったと思う。場処もどの辺ということが土地の人にはよくわかっている。矢野ノ保という荘園のうちで、人里より一里ばかり離れた所だとある。安貞の頃(一二二七)、桂はざまの大工という網人、網を曳こうとして窺いありく時、この黒島のほとりの磯の水面がおびただしく光るのを、魚とばかり思って引いたところ、それがことごとく鼠であった。鼠は浜に引上げられて皆ちりぢりに遁げうせ島にはそれ以来鼠満ちて畠の物を喰い失い、耕作ができなくなったという話。つまりは命がけで海を渡ろうとしていた鼠の群を、物のまちがいとはいいながらも、介抱してつれ込んだことになったのである。


 海上の道より抜粋


 実際、最近になってニュージーランド*3でドブネズミ Rattus norvegicus に追跡装置をつけてその移動を調べたところ、短距離ながら海を泳いでいる証拠が得られたようです。


 ニュージーラーンドのネズミがいない小さな島(9.5ヘクタール)に発信器(radio collar)をとりつけた1匹のドブネズミ(個体識別のためDNAも採取)を放してその後の行動を追跡した。


4週目までは約1ヘクタールのホームレンジで生活しているのを確かめた後、これまでネズミ退治に使われてきた手法(トラップ、ネズミ捕獲のために訓練された犬など、4つの手法)の有効性をテストした。本来使われている二倍の密度でトラップなどが設置されたにもかかわらず、いずれの方法でもこのネズミを捕獲することはできなかった。


10週間後に追跡の信号が消えた、と思ったら400m離れた別の小島(21.8ヘクタール)に現れた。新しい島に残された糞のDNAを調べた結果、確かに同じ個体のネズミであることが確認された。さらに、12週目から16週目にかけて、前回とは異なるタイプのトラップを含む5つの手法(訓練犬の探索、トラップ、殺鼠剤など)を試したが、いずれも失敗に終わった。


最終的には、18週目に、犬による丹念な探索を行い生息していると推定される場所に集中的に殺鼠剤入りの新鮮な肉を設置することで退治された。


文献
Russell JC, Towns DR, Anderson SH, Clout MN (2005) Intercepting the first rat ashore. Nature 437: 1107.


 近年、世界中のさまざまな島で、在来生態系を保全するためにネズミ類の根絶が行われています。しかし、一匹のネズミを退治する大変さをこの研究は物語っています(結局、大量の殺鼠剤をまくしかない)。また、多くの根絶事業は大きな島のそばにある小さな無人島が対象となっています。実際にネズミが泳ぐというならば、たとえ根絶しても大きな島からの再侵入に対する策が必要となるでしょう*4。



*1 ペスト菌バクテリア)を保有するネズミから吸血したノミによってヒトが血を吸われた時に刺し傷から菌が侵入し感染する。古くは14世紀のヨーロッパでペストの大流行により人口の三割が命を落としたといわれる(黒死病)。広東充血線虫は、ネズミを終宿主として、排出されたその糞に線虫の幼虫が含まれ、それをカタツムリやナメクジなどが摂食し、線虫の幼虫はこの中間宿主内で発育を行い、再び中間宿主がネズミに捕食されることで線虫は成虫になる。しばしばヒトに誤って侵入すると中枢神経に移動し、好酸球性脳脊髄膜炎などを引き起こす。


*2 さいとうたかお著「サバイバル」では、孤島に取り残された少年サトルが島に大量にいるネズミと戦いながら生活する姿は必見です(特に1〜3巻)。


*3 ニュージーランドは、ネズミをはじめ、非飛翔性のほ乳類(つまりコウモリをのぞくすべてのほ乳類の在来種)は全くいなかったと言われています。それゆえ、持ち込まれたネズミ類による影響は深刻で、ネズミ根絶のさまざまなノウハウがこの地で生まれ実践されているのです。


*4 ドブネズミは600mくらいは泳ぐことが可能なようです。また、(侵入源でもある)大きな島は人が住んでいることが多く、殺鼠類などを使った大規模な根絶事業が行いにくく、また面積が広いと成功率も低いため、すべての島で行うことは現実的に難しいようです。