生物的防除が落とした影(1)肉食のカタツムリ

 動物学や植物学、菌学、昆虫学などの研究者は、生物の生活史や生態を明らかにして、その結果を専門誌に発表します。その過程で、その成果が何か人の役に立ったら良いなあと望むことは一般的でしょう(私もたまに思います)。しかし、その成果が一人歩きして、思ってもみない方向へと波及してしまうこともあるでしょう。そういうリスクを常に考えておく必要はあるのかもしれません。


 カタツムリを食べるカタツムリ、そんな一般的にはあまり知られていないだろう生態をもつカタツムリをめぐる悲劇についてのお話です。


 熱帯、亜熱帯地域に持ち込まれ帰化したアフリカマイマイは、その農業上、衛生上の害虫であるため、最悪の外来種と銘打ったわけではありません。むしろ、これらを防除するためにとった政策が最悪であったと言うべきだったかもしれません。これによって、各地域に固有のカタツムリ類の多くが絶滅してしまったからです。


 アフリカマイマイ帰化個体群には3つの過程が知られています。(1)道路を埋めつくさんばかりの大発生、(2)定常状態、(3)急減な現象です。多くの害虫でこのような個体群動態が知られていますが、アフリカマイマイの大発生は、農業上問題よりも、そのグロテスクな形態から多くの一般住民に多大なる精神的な影響を与えて、その防除要請が公的機関に殺到する事態となります。実際度重なる要請を受け、アフリカマイマイを防除するために、多くの天敵が放されることになりました。その中でも、カタツムリを専ら捕食するヤマヒタチオビは、その天敵放飼の失敗例として(業界内では)最も悪名高い種の一つでしょう。



ヤマヒタチオビ Euglandina rosea の幼貝(カタツムリの割には軟体部の動きがはやい)


 ヤマヒタチオビはフロリダ原産で、地表を徘徊するだけでなく、木にも登るし、水の中にも入るなど、陸生、淡水生のさまざまな種類の貝を捕食することが可能な(共食いもする)、水陸両用のカタツムリ捕食者です。小型のカタツムリは丸呑みし、大型のカタツムリは殻の中に入って軟体部のみを食べます。


 その導入履歴を以下に記しました。


・ハワイ(太平洋):1955年(原産地フロリダからハワイ農務局が導入)
バミューダ(大西洋):1958-1960年(ハワイから生物防除・公衆衛生研究所が導入)
・グアム(太平洋):1958年(ハワイより)
モーリシャス(インド洋):1959年(ハワイより)
・沖縄:1958-1961年(ハワイから)
パラオ(太平洋):1960年(不明)
ニューギニア(太平洋):1959-1961年(ハワイより)
サイパン(太平洋):おそらく1961年(ハワイより)
マダガスカル(インド洋):1962-1968年(モーリシャスより)
セイシェル(インド洋):1966年(小アンティル諸島より)
・グランドコモロ(インド洋):1970年(モーリシャスより)
・バヌアツ(太平洋):1973-1974年(ハワイより)
ソシエテ諸島(太平洋):1974年(不明)
ニューカレドニア(太平洋):1974-1978年(グアムから導入)
・モーレア(太平洋):1977年(ハワイから導入)
サモア(太平洋):1980-1984年(グアム、バヌアツから米国農務省が導入)


Civeyrel L, Simberloff D (1996) A tale of two snails: is the cure worse than the disease? Biodiversity and Conservation 5: 1231-1252.


*リストにはなかったが、小笠原にも米国によって導入されて定着している。ただし、沖縄には現在定着しているという情報はない。また当時、日本の研究者によってもヤマヒタチオビによる飼育実験が行われていたようである(ちなみに日本本土での利用価値については否定的な見解)。


安松京三ほか(1965)食肉性陸産巻貝Euglandina roseaの小観察. 日本応用動物昆虫学会誌 9: 64-66.


 年代順に並べたので、わかりやすいかとは思いますが、1955年に原産地のフロリダからハワイに導入したのをはじまりに、ハワイを拠点として、太平洋、インド洋の様々な島々へと導入されていったことがわかります。注意すべきは、米国の公共機関が積極的にこれを推進したことです。戦前・戦中にアフリカマイマイの導入に日本(人)が関わっていたのと対照的に、ヤマヒタチオビの導入には戦後太平洋を統治した米国が主に関わっていたというわけです(沖縄も当時は米国統治下でした)。


 不幸なことに、ヤマヒタチオビが導入された地域はいずれも、それぞれの諸島内だけにしか見られない固有カタツムリの宝庫であったのです。ヤマヒタチオビアフリカマイマイの幼貝(小型)を食べるのは確かなようですが、むしろ固有カタツムリの方を好んで食べる事態になりました(アフリカマイマイより小型で食べやすい)。


その結果、ハワイ、モーリシャス、ソシエテなど、ヤマヒタチオビが導入された多くの地域で、固有カタツムリ類が絶滅してしまったと考えられています。固有種の消滅があまりに急であったため、記録(やデータ)に残らず絶滅してしまった例が多いようです(よって本種による絶滅の影響は過小評価の可能性があります)。しかも、ヤマヒタチオビを使ってアフリカマイマイの根絶に成功した例はありません。実際、ヤマヒタチオビの原産地であるフロリダでは、アフリカマイマイは定着したままです。ヤマヒタチオビはまた、広東住血線虫を保持するので、衛生上の問題も全く解決していません。


 ではなぜ、アフリカマイマイを根絶することができないのに、こうも広く導入されてしまったのでしょう。1980年にはすでに在来(固有)種への影響が科学者によって指摘されていたにもかかわらず、サモアには米国農務省がさらに導入しています。


 一つは、先に述べアフリカマイマイの個体群過程の中で、「急激な減少」が、ヤマヒタチオビによって引き起こされた、と信じている人がいたことです。この仮説は定量的なデータがないため、全く科学的な裏付けがありません(固有種の絶滅は定量的なデータが一部にあります)。


 二つ目は、地域住民や農業関係の私企業などの多大な要請が行政を動かした点があります。これはしばしば科学者のアドバイスを無視し、数少ない証拠(しばしば逸話)をもとに推進されてしまうことがあったと考えられます。


 さらに、公的でない形(個人や私企業など)で導入された可能性と、農業資材(苗、植栽木、園芸植物など)と一緒に意図せずに広まった可能性もあることでしょう(参照)。


 一般に、外国(別の地域)から持ち込まれ害虫や雑草となってしまった生物を防除するために、その原産地にいる天敵を導入することで減少させる手法は古典的生物防除(classical biological control)と呼ばれています。実際、それに成功すると、天敵による個体群制御で、劇的に害虫の個体群を減少させ、低密度に抑え続けることができます。しかし、その導入例の多さに比べると成功例が少ないという指摘もあります。また、この成功には、標的となる生物種のみを食べるスペシャリスト(専門食)の天敵であることが重要であると言われています。ジェネラリストの(いろいろな種類を食べる)天敵は、標的となる特定の生物種以外にも影響を与える可能性が指摘されています。


 ヤマヒタチオビは実際さまざまなカタツムリを捕食するジェネラリストであり、しかもアフリカマイマイの原産地(アフリカ)から遠く離れたフロリダに生息していました。しかも、ハワイやそれ以外の地域への導入前に、室内実験(標的種への実験室下での影響、その他在来種への影響評価など)が詳細に行われていなかったようです。ハワイでは、ヤマヒタチオビ以外にも、他の捕食性の貝類、陸生プラナリア、アリ、甲虫、鳥など、いろいろな天敵が、詳細な室内実験なしに放たれていたようです(例えば、大学博物館で、ハワイで採集されたマイマイカブリの標本を見たことがあります)。


 なぜ、アフリカマイマイを根絶させることなく、固有種だけを絶滅させてしまったのでしょうか。


 アフリカマイマイは一度に数百個の卵を産むことができ、1年以内に成熟し何度も産卵を繰り返すことができます。一方、島で長い時間進化してきた固有のカタツムリたちは、強力な天敵がいなかったのが原因なのか、非常に少数の卵しか産まずその成熟期間も長いと言われています(極端な例では、ハワイマイマイの一種は、成熟に7年、年に1仔しか産まない)。このような生活史の違いが両者の命運を分けたのでしょう。言い換えれば、アフリカマイマイなど多産な外来種を餌に増えたヤマヒタチオビが、固有種を絶滅に追いやったのかもしれません。


 ハワイでは、今もヤマヒタチオビの脅威が、ハワイマイマイをさらに崖っぷちに追いやっています。US Armyは、ハワイマイマイ保全のために、ヤマヒタチオビ探索犬を訓練しているという噂もあります(笑)。そんな犬に出会えたらご報告いたいと思います(しかも大好きなラブラドール・レトリーバーらしい)。



*現在、生物的防除は、きちんとした飼育実験やさまざまな厳重な体制で行われていることが多いようです。生物的防除に関しては追ってフォローする内容も記しますので、「生物的防除=悪」という主張を行っているわけでは全くありません。また、ヤマヒタチオビを許可なく飼育したり移動したり導入したりするのも法律で禁止されています。一応念のため。