あこがれの昆虫学者

 昆虫少年だった私は、いろいろな昆虫の形態や生態の写真を眺めるのが今でも大好きです。日本には、幾人かの著名な昆虫写真家がいて、それぞれの写真集は、発見ものの科学論文のように衝撃的で、言語の壁を容易に越え、世界中の人が楽しめるレベルにあると思います。


 一方で、研究者の論文には、図表はあるものの基本的には字ばかりで、パッと見て、何の生物を材料にした論文であるかを判断するのは難しいものが多いのです。しかし、一部の論文には、材料たる生物の形態や生態の写真がふんだんに使われていて、その論文が何の生物によるものかすぐにわかるものもあります。


 写真があるからといってその論文の価値が決まるわけでは全くありません。写真があると、むしろ材料の生物が強調されてしまって、一般性を追求する科学では評判が悪い可能性もないわけではありません。しかし、生物の自然史に興味をもっている私にとって、自分の専門でない生物の生態が写真を使って紹介されていると、ついつい読んでみたくなるわけです。


 写真が使われている論文をたくさん読んでいると、同じ著者によるものが結構あって、逆に今度はその著者の論文を探すことで、楽しい写真が使われている論文を見つけることもできます。


 そんな研究者の一人に、Thomas Eisner(トーマス・アイズナー)がいます。彼は、Edward O. Wilsonとハーバードにおいて大学院の同級生で、後、コーネル大学に奉職し、米国科学アカデミーの会員にも選出されている、いわゆる一流の科学者です。彼の研究テーマは「防衛(Defense)」です。それだけだと、国防省を連想してしまいますが、彼が扱っているのは、おもに、節足動物や植物の防衛です。これらの生物は、さまざまな手段を用いて自身の身を護っていている一方、逆にその防衛を突破して襲う天敵もいます。これらの生態のうち、特に興味深いものをEisnerは一つ一つ明らかにしていきます。彼が明らかにしたネタを少し紹介しましょう。


・オジギソウで、触れると葉を閉じるのは、植食者に対する防衛手段の一つである(PNAS 78: 402-404


・ラックカイガラムシなどから抽出する染色原料は、もとはカイガラムシの防御物質として進化してきた(Science 208: 1039-1042)。


・食虫植物であるモウセンゴケを食べるガの幼虫がいる(Science 150: 1608-1609)


・丸まって防衛する大型のタマヤスデを、物に投げ付けて割って食べるマングースがいる(Science 155: 577-579


・クモの網にある隠れ帯(stabilimentum)は、鳥が網を壊すのを防ぐために鳥に対する“注意喚起”である(Science 219: 185-187


・ホソクビゴミムシの“オナラ”は化学反応によって100℃以上の熱を発している(でも自身にがかかっても平気)(Science 165: 61-63; PNAS 96: 9705-9709


・フサヤスデは体毛を使ってアリから防御する(アリはフックのついた毛に絡まってしまう)(PNAS 93: 10848-10851


・ある種のハムシの成虫は葉にへばりつくことで、アリなどの捕食者の攻撃に耐える(でもサシガメには食べられてしまう)(PNAS 97: 6568-6573


・上記のハムシの幼虫は、ラーメンのような渦巻きの“うんこ”をしてその中に紛れて捕食者からの攻撃に耐える(PNAS 97: 2632-2636


・ある種のクサカゲロウの幼虫は、“羊の皮をかぶったオオカミ”のように、餌のアブラムシの死体をかぶって、天敵(テントウムシ)から逃れ、餌アブラムシを襲う(Science 199: 790-794


・ある種のベニボタル擬態のカミキリムシの成虫はなんと捕食性で、毒をもつベニボタルの成虫を食べて自らの毒にもしているかも(Evolution 16: 316-324


・テングシロアリ類の兵隊は、化学物質を噴射して天敵を攻撃する(Behav Ecol Sociobiol 1:83-125


・ミズスマシは天敵である魚から防御物質を使って身を護る(PNAS 97: 11313-11318


・アリは防御物質である蟻酸をもっているが、アリジゴクはその蟻酸を噴出させないでアリを襲って食べる(PNAS 90: 6716-6720


・アカハネムシの一種(甲虫)は、カンタリジンという猛毒を雌にプレゼントして交尾を行う(PNAS 93: 6499-6503


・ある種のホタルの雌は、別種のホタルの雄を襲って食べることで、自身が合成できない毒を体内に取り込む(PNAS 94: 9723-9728


・とあるヒトリガの雌は、交尾相手として、体内にためた毒(アルカロイドの一種)の多そうな大きな雄を選ぶ(雄は精子と一緒にその毒を雌に渡し、雌はその毒を子供に与えてお守りにする)(PNAS 96:15013-15016


Eisner T: 著作目録

https://academictree.org/biomech/publications.php?pid=26276



 上記以外にも興味深い論文はたくさんあります。


 コーネル大の同僚の化学者で、同じくアカデミー会員であるJ. Meinwaldと一緒に、会員である特典をフルに活用して(?)、米国科学アカデミー紀要(PNAS)にたくさん発表しています。


 私自身が、特に化学生態学という分野に興味を持っているというわけではないのですが、その材料となっている生物の特異さや、論文で使われている写真や絵がお気に入りなのです。


 そんな彼の論文を集めては楽しんでいたのですが、2003年、ついに彼は、これまでの写真を総動員して、下記の本を出版したのです。


その名も


For Love of Insects



 これまで、論文で使われていた写真(+α)が盛りだくさん。2ページに1ページの割合で写真や図があります(もっと多いかも)。現在の写真機器や技術からすれば、古い写真も多いので特に写真の美しさが際だっているというわけではありません。しかし、研究内容との関係や、時代背景からすれば力作であるのは間違いないでしょう。
 

 内容は、自身の幼少時代から始まり、ハーバード時代、そして研究者への道、個々の研究はどのように着想したか、写真撮影のこと、などなど興味深いトピック満載です。もちろん、英語で書かれているので、内容を知るには努力が必要ですが、写真集として眺めているだけでも楽しいものです。しかも、安い! 私は、なんと、研究室用(ハードカバー)、家用(ハードカバー)、持ち運び用(ペーパーバック)の3冊も持っています。もちろん、ハワイにもそのペーパーバック版を持参しているのは言うまでもありません。