外来植物に関するダーウィンの仮説

 お正月明けの休日に、ハワイで日本人らしい生活を、と思いたち、ワイキキで昼食をとって、アラモアナ・ショッピングセンターで買い物をしました。その時、書店をのぞいたら、ダーウィンの「種の起原」のペーパーバックが売っていました。さすがに安くて、9ドル弱。違うコーナーに寄ってから、いざ買おうかと思ったら、すでにありません。どうも、誰かが買ってしまったようです。アメリカ人も、教養として「種の起原」を読むのでしょうか。


The Origin of Species

 今年2009年はダーウィンの生誕200周年だそうで、最近の学術雑誌ではダーウィン特集号が組まれているのをしばしば見かけます。個人的には、ダーウィンよりウォーレスのファンですが(日本人の虫屋でウォーレス・ファンは多い)、現在の進化、生態学の業界でもダーウィンは不動の地位を保っています。

 これまで頻繁にとりあげてきた外来植物について、実はダーウィンも「種の起原」の中で、とある仮説を提唱していたそうです。


 Darwinは、「種の起原 The Origin of Species」(1859年)において、Asa Grayが編集した「米国植物便覧 Manual of the Flora of the United States」をもとに、帰化植物162属のうち、少なくとも100属は在来ではないことをあげ、「同属の種間では、共通した生息場所や性質を多くもつため、生存競争がより厳しいだろう」と述べている。つまり、同属の在来種がいる時より、いない時の方が、帰化しやすいということを示唆している。


 近年になって世界各地で帰化植物のデータが蓄積されたことで、この仮説(Naturalization Hypothesis)が検討されつつある。たとえば、とある地域の植物誌を使って、(1)在来種も帰化種も含む属数、(2)在来種は含むが、帰化種は含まない属数、(3)在来種は含まず、帰化種は含む属数、(4)在来種も帰化種も含まない属数(つまり帰化していない外来種のみの属数)を調べ、在来種を含む属か含まない属かで、帰化種を含む属の割合を検討すれば良い(論文ではより詳細に科ごとに検討したり、全体でも科をランダム効果として検討したりしている)。


 カリフォルニアやオーストラリアでは、仮説を支持する傾向があった。


 でも、ハワイでは、単純に仮説を支持しなかった。


 また、ニュージーランドでも仮説を支持しなかった。むしろ、同属の在来種がいるほど帰化しやすいという傾向があった。

 
 ただし、ダーウィンはこの逆の場合も検討していて、帰化した外来種は、その環境で生存しやすいという同属の在来種と類似した性質をもっている可能性も示唆していた。


文献
Daehler CC (2001) Darwin’s naturalization hypothesis revisited. The American Naturalist 158: 324-330.


Duncan RP, Williams PA (2002) Darwin’s naturalization hypothesis challenged. Nature 417: 608-609.


 進化、生態学者にとっての古典である「種の起原」を読み込み、その中に現在話題になっているテーマの萌芽を見い出すことができるのが、欧米研究者の教養なのかもしれません。「ダーウィンはすでにそんなことを考えていた!」とか、「帰化しやすい場合としにくい場合の両方を考えていたなんて、さすがダーウィンだ!」と崇拝者の声が聞こえてきそう。偉人崇拝の一種かもしれませんが、そういう盛り上がりは嫌いではありません(というより、こうして一言付け加えるのが好きです)。

 もちろん、植物以外の分類群にも仮説を拡張できるでしょう。

 ちなみに、上記の仮説の元データともなった、米国植物便覧を編纂したAsa Grayこそ、ウォーレスに対する優先権を確保するために、ダーウィンが発表した手紙の送り先であったのは興味深いところです。


 1858年に進化の仕組みとして、ダーウィンとウォーレス(Alfred Wallace)が「自然選択説」をロンドン・リンネ学会で共同発表したとされる(口頭発表、1ヶ月後紀要発行)。しかし、共著論文ではなく、ウォーレスは独自に執筆した論文を、ダーウィンは1844年に個人的に書いていたエッセーの一部と1857年にAsa Gray宛に書いた手紙の写しを併せて発表した。つまり、ダーウィンは正式な論文を書き上げたわけではなく、ウォーレスの発表と同時に、自らも「自然選択説」を独自に着想したという証拠を発表した。発表順は、ダーウィンが先で、次にウォーレスであった(ただし両人とも発表会場には出席せず代読)。当時の英国における博物学の重鎮であったThomas HuxleyとJoseph Hookerが、自然選択説の優先権をめぐって、ダーウィンに配慮して微妙な調整を行ったと言われている。翌年、ダーウィンは、「種の起原」(書籍)を発表した。


Charles Darwin(日本語ページもあり)
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Darwin

Alfred Wallace(日本語ページもあり)
http://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Russel_Wallace

Asa Gray
http://en.wikipedia.org/wiki/Asa_Gray