ウォーレスが投稿していた雑誌

 19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したウォレス(Alfred R. Wallace)*は、動物地理区の境界線の解明(ウォレス線)や、ダーウィン(Charles Darwin)と同時に「自然選択(淘汰)説」を発表した博物学者として著名な存在です。


 ダーウィンは裕福な家に生まれ、あくせくとお金を稼ぐ必要はなく、博物学の研究に多くの時間をあてることができました。しかしウォレスは、貧乏な家の生まれで、14歳から働き始め、学会における研究者としての地位を確立した後でさえも、生涯定職につくことができませんでした。そんな彼は、研究で身を立てるべく、ダーウィン以上に多くの本を書き、さまざまな雑誌に論文や論考、書評などを寄せています(The Alfred Russel Wallace Page)。ウォレスが主に発表していた雑誌について、ダーウィンと比べながら紹介したいと思います。


 極めて多くの論文を著しているため、全部の雑誌をカウントするのは面倒だったので、博物学に関係する主要な雑誌をリストアップしました。



Alfred R. Wallace

  1. ネイチャー(Nature)
  2. ロンドン(王立)昆虫学会誌 [(Royal) Entomological Society of London]
  3. アイビス(Ibis)
  4. ロンドン動物学会誌(Zoological Society of London)
  5. 王立地理学会誌(Royal Geographical Society of London)
  6. アナルズ・アンド・マガジン・オブ・ナチュラルヒストリー(Annals and Magazine of Natural History
  7. ロンドン・リンネ学会誌(Linnean Society of London)


1. 「ネイチャー」は今では自然科学者の憧れの雑誌ですが、ウォレスは創刊年から非常に多くの記事を寄せています。約200編の記事があるようですが、少なくとも4分の1は書評(Book review)にあたります。ネイチャーを現在発行しているのはネイチャー出版(Nature Publishing Group)ですが、もともと(現在も)マクミラン出版(Macmillan Publishers)の一部門で、ウォレスはこのマクミラン出版から(ネイチャー創刊前から)多くの書籍を出版しています(例えば、「熱帯の自然(Tropial Nature, and Other Essays」、「マレー諸島」など)。おそらく、ウォレスは、書評などを書くことで収入を得る必要があったのではないでしょうか。


2. ロンドン昆虫学会(Entomological Society of London)が発行していた雑誌(Proceedings of the Entomological Society of London, Transactions of the Entomological Society of London, Journal of Proceedings of the Entomological Society of London)に約40編の論文を発表しています。現在は王立昆虫学会(Royal Entomological Society)としてSystematic EntomologyEcological EntomologyPhysiological Entomologyを中心に7誌の後継誌が発行されています。ウォレスはマレー諸島探検での各島での昆虫リストや知見を報告しており、昆虫学が主な研究対象であったことが伺えます。


3. アイビス(Ibis)は、英国鳥類学会(British Ornithologists' Union)が発行している雑誌で、現在でも同誌名で発行が続けられています。ウォレスは創刊年からマレー諸島での各島の島類リストや知見について、約20編も発表しています。昆虫学と同様に、鳥類学も彼の重要な研究対象であったようです。


4. ロンドン動物学会(Zoological Society of London)が発行していた雑誌(Proceedings of the Zoological Society of London, Proceedings of the Scientific Meetings of the Zoological Society of London, Proceedings of the General Meetings for Scientific Business of the Zoological Society of London)にはおおよそ20編の論文を掲載しています。現在では、Journal of ZoologyAnimal Conservation が後継誌として発行が続けられています。マレー諸島の探検で得られた鳥類、哺乳類などのリストや知見などを発表していました。


5. 王立地理学会(Royal Geographical Society of London)が発行していた雑誌(Journal of the Royal Geographical Society, Proceedings of the Royal Geographical Society of London, Proceedings of the Royal Geographical Society & Monthly Record of Geography)には十数編を発表しています。現在は、Geographical JournalTransactions of the Institute of British Geographers が後継誌として発行が続けられているようです。ウォレスはマレー諸島への探検に際して、同学会からの援助(具体的にはシンガポールまでの乗船券)を受けていたこともあって、定期的に報告を行う必要があったというのが実情のようです。しかし、この地理学的な観点と各地の動物相解明が融合して、「動物地理学(Zoogeography)」を確立したといえるでしょう。


6. アナルズ・アンド・マガジン・オブ・ナチュラルヒストリー(Annals and Magazine of Natural History)は、ダーウィンと同様ウォレスも愛読していた博物学の雑誌で、十数編を発表しています(他誌からの再版を含めるとより多い)。特に、ウォレスが1855年に同誌に発表した論考(On the law which has regulated the introduction of new species)は、1858年の自然選択説の発表につながる重要な論文として知られています。ロンドン・リンネ学会よりは、ウォーレスにとっては投稿しやすい雑誌だったようです。現在では Journal of Natural History として発行が続けられています。


7. ロンドン・リンネ学会(Linnean Society of London)発行の動物シリーズ雑誌(Journal of the Proceedings of the Linnean Society: Zoology, Journal of the Linnean Society: Zoology, Transactions of the Linnean Society of London)には数編を発表しています。特に、ダーウィンとともに1858年にJournal of the Proceedings of the Linnean Society of London (Zoology) にて出版された論文こそが「自然選択説」のオリジナル論文となっています。当時のロンドン・リンネ学会は、会員による推薦がないと発表できなかったようで、ほぼ無名の採集家であったウォレスはダーウィンにこの原稿を送り、これが当時の学会の重鎮であったライエル(Charles Lyell)とフッカー(Joseph D. Hooker)の推薦を受けて発表された経緯があります。その後もウォレスはダーウィンの紹介で論文を寄稿しています。また、同様に庶民出身の博物学者で、ウォレスと一緒に南米を探検したベーツ(Henry W. Bates)も、「ベーツ型擬態」で知られる現象を1862年にTransactions of the Linnean Society of Londonにて発表しています(公式にはフッカーの推薦)。現在では、後継誌として動物シリーズが Zoological Journal of the Linnean Society総合誌Biological Journal of the Linnean Society として発行されています。


 概観して、ダーウィンとは違い、ウォレスは自身の探検や生活、研究者としての地位確保のためにより多くの論文を書く必要があったように感じます。例えば、南米やマレー諸島での探検では、その費用を捻出するために、その探検や商品となる採集品を宣伝する必要があったり、またスポンサーへの報告義務があったり、そして帰国後の研究者としての地位の確立が必要でした。探検時期(南米4年、マレー諸島8年)にも海外から積極的に多数の論文を投稿していたのは驚くべきことです。特に自然選択説の原著論文となる草稿は、現地でマラリアに苦しんだ後に書き上げたものだそうです。


探検時期の成果は主に、ロンドン昆虫学会誌、アイビス、ロンドン動物学会誌、アナルズ・アンド・マガジン・オブ・ナチュラルヒストリーなどに発表し、後半生は書籍執筆を主に、ネイチャー誌などに数多く寄稿している傾向がありました。


 ダーウィンと比べて、植物よりも動物よりの雑誌や論文が多い傾向があります。特に昆虫と鳥の論文が多い特徴があります。


 加えて、ウォーレスが南米、マレーシアで採集した膨大な標本をもとに多くの分類学者が新種記載を行っており、その中にはウォーレスにちなんだ名前をつけられた種もいます。発見した種に自分の名前をつけてもらうのは、採集家としては大きな喜びだったと思われます。



ウォレスにちなんで名付けられたウォレスシロスジカミキリ(Wikipediaより


 私自身昆虫を主に研究してきたので、特にウォレスやベーツへの思い入れが強く、彼らに憧れてロンドン・リンネ学会や王立昆虫学会の雑誌に何度か投稿したことがあります。


そんな博物学者たちが論文を寄せていた雑誌に投稿してみるのも研究の楽しみ方の一つかもしれません。

参考
ナショナルジオグラフィック
ダーウィンになれなかった男


* Wallace のカタカナ表記って、「ウォレス」か「ウォーレス」の両方ありますが、検索した結果は前者の方が後者より多い感じです。訳本などでも同じ訳(著)者にも関わらず「ダーウィンに消された男 」および「熱帯の自然」では前者が、「マレー諸島」と「種の起原をもとめて―ウォーレスの「マレー諸島」探検」では後者が使われています。