「利己的な遺伝子」を読んで

 研究室に入ったばかりの学生たちがリチャード・ドーキンスRichard Dawkins)の著書を知らないことに先生は嘆いておられました。もちろんその著書とは「The Selfish Gene」(1976年)のことです。


私は大学院に入ってからすでに十年以上たっているのでおおまかな内容は知っているし訳本自体も持っています。ただ、読んだ記憶が曖昧で、はたして本当にその内容を知っているのだろうかという不安がでてきました。


日本の書棚には確かに訳本があるはずですが、2006年に30周年の増補改訂版とその訳本が新たに出版されていたので、アマゾンで取り寄せて読んでみることにしました。


利己的な遺伝子(増補新装版)


 だいたいの内容はやはり知っていましたが、細かいところでは新たに理解したことが多々あります。以前は拾い読み程度だったのか、教科書などですでに学んだことなのか、それとも知識を得て理解が深まるようになったのか・・・。


 ダーウィン(Charles Dawin)は「種の起源」の中で、自然淘汰(自然選択)が進化の仕組みであることを提唱しました。個体には遺伝する変異があり、ある環境下で有利な変異をもつ個体が生き残り繁殖して子孫を残す(不利な変異は生き残れないか子孫を残せない)という過程を「自然淘汰」といいます。ダーウィンは「種の起源」の中で、この淘汰が個体間に働いていることを明言しています。しかし、ミツバチなどの社会性昆虫に見られるような子供を生まないワーカーによる利他的な行動についての説明では、淘汰はコロニーという集団(群)間で働いているというようにも読み取れます。


このような行動的な適応は、群(集団)淘汰によって進化してきたのか否かという論争が1960-1970年代にかけてありました。ハミルトン(W. D. Hamilton)の包括適応度の理論によって、ミツバチなどでは姉妹間での血縁関係が強いために利他的な行動が進化してきたことが明らかになりました。ドーキンスは、ハミルトンやトリバース(R. L. Trivers)らの研究を紹介しつつ、淘汰は種や集団(群)間に働くのではなく、遺伝子(DNA)の間に働くということをわかりやすく示しました。「遺伝子は、盲目的な自然淘汰のはたらきによって、あたかも目的をもって行動する存在であるかのように仕立てられている」ことから、「利己的な遺伝子が生物個体を乗り物として操る」というような表現をしばしば用いました。これは、多くの反響をよび、このような堅い書物にもかかわらず多くの読者を得ました。


 この本は、数学的な記述を(しばしば)擬人化した例をあげて説明しているので、ヒトもDNAによってすべて操られているような印象を抱いてしまいがちです。しかし、ドーキンス自身は、人については文化的な影響が大きいとして、文化を「ミーム」という言葉で表し、その伝達は「記憶」という条件だけで個体(世代)間に広まりうることを述べています。


 ドーキンスは究極的には、DNAに限らずほんの少し不正確に複製をつくる実態(自己複製子)が(ダーウィンのいう)淘汰が働く前提となり、適切な条件があれば複製子は自動的に集合してきわめて複雑なシステムを累積的に構築する傾向を示すことを述べています。つまりドーキンスによれば、自然淘汰は、自己複製子があれば地球以外でもどこでもなんらかの「進化」を導きうるということでしょう。


 その他、ゲーム理論、ハンディキャップ理論、互恵的利他主義囚人のジレンマといった話題など、改めて勉強になりました。出版当初はドーキンス自身は疑っていたハンディキャップ理論が、(以後に追加された脚注によれば)より一般的に普及された概念として認めつつあるとか、ドーキンスがアクセルロッド(Robert M. Axelrod)にハミルトンを紹介したことが彼らの有名な共同研究(協力の進化 Science)に発展したとか、科学史的にも興味深く感じるところもありました。


 西洋で発展した進化研究の中で、日本人による研究として唯一、青木重幸博士による「兵隊アブラムシ」の発見とその意義が紹介されているのはすばらしい。



Dawkins R (1976) The Selfish Gene.  英語全文はオンラインで読めます。
http://www.macroevolution.narod.ru/gene/gene30.htm