署名入りコメントに込められた意味

 論文は常に出し続けておきたいという思いから、審査中に別の論文を投稿することを目標にしています。通常は投稿から数ヶ月は審査待ちの時間があるので、その間に投稿するということです。また、最近の論文投稿はすっかりインターネットに依存しているので、論文の審査状況は逐一チェックできてしまいます。つまり、「編集者の判断待ち」という項目が出れば、そろそろ審査結果が返ってきそうということがわかるというわけです。ということで、そのタイミングをみて新しい論文を一昨日投稿しました。案の定、今日論文の審査結果が返ってきて、なんとか「お手玉」状態を維持できました。


さて、審査結果は毎度のことながら厳しいものでしたが、今回は珍しく署名付きのコメントがありました。通常、論文査読は、同分野の研究者で行いますが、時に自らの名前を明かしてくることがあります。この「署名入り」というのにはどういう意味があるのでしょうか?


 査読者が著者の名前を知っているのに、著者が査読者の名前を知らないというのは不公平と考え、自らの名前を明かすという研究者がいてもおかしくありません。ちなみに、そういった不公平をなくすために、査読者にとっても著者がわからないようにするダブル・ブラインド方式と呼ばれる方法を採用している雑誌もあります。


査読者は通常その論文に関する分野のエキスパートや第一人者の可能性が高いでしょう。つまり、その査読者の研究が該当論文に引用されていたり、論文投稿者が査読者候補として名前を挙げていた人が実際査読にあたっていることも多いでしょう。このような時、投稿者の要望に応える形で、自らが査読を行ったことを明かす場合があるかもしれません。


 自身の経験では、思い出す限り少なくとも7回は署名入りのコメントを受けたことがあります(逆に、署名入りのコメントをしたことはありません)。6回は該当論文で引用している研究者で、1回は引用もしておらず署名を見るまで知らない研究者でした。いずれも日本人ではありません。


署名入りコメントの6回のうち3回は同じ研究者だったので、その人は割と名前を明かす方針なのかもしれません。ただ、おそらくその人であろうと考えられる匿名コメントを別にもらったこともあったので、必ずしも毎回署名を入れるというわけではないようです。また、署名しなくても「私自身の研究によって・・・は明らかになっている(Smith, 1988)」のような書き方で微妙に明かしている時もありました。


さて、署名入りコメントの内容は、そのままOKという場合はわずか1回で、少数のコメントであった場合は2回、その他は比較的長めのコメントで、時に厳しいものも含まれていました。ただし、ほとんどの論文はその後同じ雑誌に受理されたので、署名入りコメントは比較的良好なものとして考えることができます(もちろん署名入りコメントがあってもリジェクトされる場合もあります)。


 通常、論文投稿者は、査読者の名前が知らされないばかりでなく、著者には伏せられた論文の評価、推薦、批判が(査読者から)編集者に伝えられています。よって、査読結果には、具体的な評価や推薦文が含まれていないことがしばしばあるのですが、署名入りのコメントによって論文の推薦を暗示していることが多いような気がします*。もちろん、それに応える形で、明かされた名前を謝辞で丁寧にお礼を言うのが一般的だと思います。



*「この論文は認めない」と高らかに宣言した署名入りのコメントをもらったことはありません。しかし、ありえない話ではないでしょう。