研究者の評価

 研究者の大事な仕事として、(1)論文を書いて専門誌に発表する、(2)これらの雑誌に投稿された論文を審査する、というのがあります。しかし、研究者としてその仕事が評価されるときは(職場での採用、昇進など)、発表論文をもとにされることが多いでしょう。


論文を何本(主著、共著、責任著者として)書いたか、インパクトファクターの高い雑誌に書いたか、各論文の引用数はどれくらいか(例えば h指数)。


多様な分野の研究者がいるほど、統一的な評価基準というのは設けにくいのは確かでしょう。あまりに偏った評価は、さまざまな批判にさらされます。


 最近、なるほどと思った記事を読みました。

http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak476_480.html#zakkan479


 記事には、発表した論文数や引用数、インパクトファクターだけではなく、発表雑誌の種類が大事なのではないか、という話が紹介されています。多様な分野の雑誌に発表していれば、より学際的な貢献につながるのではないか、という意見です。もちろん、該当分野で権威ある(インパクトの高い)雑誌に何度も掲載されるのは、その分野の前進に役立つのは間違いありません。しかし、雑誌にはある程度の学閥や人間関係があるのも事実です。同じ雑誌に論文を多数載せている方が、載せていない場合よりも(信頼を得て)掲載されやすい可能性があるでしょう。また、科学の分野間での交流は大事です。つまり、それぞれの分野の王道を極める研究者から、分野を横断的に扱う研究者まで、多様な評価があっても良いかもしれません。


 一方で、雑誌の編集や論文の査読という仕事はそれほど評価されていないように感じます。


今の研究室の先生は、査読した論文の数ではなく(数え切れないから?)、査読に関わった雑誌の種数を数えていました(つまり大事だと考えている)。論文を投稿する場合は、査読する場合よりも自由に雑誌を選べます。なるほど、多様な雑誌から査読を依頼されるということは、いろいろな派閥、分野から認知されており、それらに積極的に関わるのはより広い分野への貢献となるかもしれません。


と、評価なんて気にしているのは小物っぽいかもしれません。まずは目の前にある課題から片付けることが先決です。ここ2ヶ月ばかり苦しんでいるものがあって、はやく解放されたいとは願いつつ、「急がば回れ」の精神で慎重に取り組んでいるところです。