耐えること

 長い夏休みも終わりに近づきつつあるようで、今日は珍しく研究室のメンバーが全員そろっていました。新しい大学院生も一人加わりました。学内のカフェテリアもようやく再会し、構内もにわかににぎやかになりつつあります。新しい学期がはじまりそうです。

 
 さて、論文を「待つ」ということについて述べましたが、論文が返ってくれば今度は「耐える」という作業があります。厳しい査読者の批判に耐えながら、論文の改訂作業を行っていきます。以前にも少しふれましたが、最近これが本当に大変だと感じることが多いです。


データをとりはじめるとか、学会発表を申し込むとか、論文を投稿するといった作業はかなり積極的な行動なので、これを「攻め(オフェンス)」とするなら、論文改訂作業は「守り(ディフェンス)」にあたるかもしれません。研究には「攻め」が不可欠だとは思いますが、「守り」きらないと論文は出版されません。


おそらく、査読者のコメントを取り入れていかにうまく改訂するか、また改訂せずに手紙でいかに批判をかわすか、そのバランスが大事なのだろう、と頭では理解しているつもりです。しかし、それがどのような表現なりテクニックなのか、未だ明確にできないでいます。実践を繰り返しながら、その都度あがいている、まさに手探り状態です。


 博識で論理的で、かつ(英語)ネイティブの査読者の批判はとても重たく感じます。英語のコメントをしっかり訳してその意味するところを理解し、それに沿って改訂作業を進めていくしかありません。高校生の頃、テストで英訳文と英作文というのありましたが、その頃の辛さを少し思い出します(もう十数年も前のことなのに、未だに大学受験の悪夢をみます)。


 大学院生の頃より今に至るまで、自分なりに計画をたてたり論文をまとめたり、また仲良しの人たちと共同で研究を行ってきました。しかし、一流の研究者に論文執筆の指導を受けて、様々なコツなりテクニックを教えてもらうことも大事だったんじゃないだろうか、とふと思うことがあります。