分散/分断分布論争、再び:Dispersal vs Vicariance Debate Revisited

 いくつかの生物群では遠く離れた大陸に分布するという隔離分布が知られています。例えば、マダガスカルキツネザルは、化石としてインドに、近縁の原猿類はマレー諸島に分布しています。


ヴェゲナー(Alfred L. Wegener)は地図を眺めて、各大陸がパズルのピースのように一つの大陸になることを見いだし、かつては巨大大陸が存在しそれが現在の大陸に分裂したのではないかと考えました。この大陸移動を仮定すると、キツネザルのような現在見られる生物の隔離分布をうまく説明することができます。これがいわゆるヴェゲナーによる「大陸移動説」です。しかし当時は大陸移動のメカニズムを説明する理論がなくヴェゲナーの考えは一般には認められないまま、極地探検で命を落としてしまいました。



大陸移動説 (Wegener 1929)(近年の研究ではこの移動推定は多少異なっています


 ヴェゲナーの死後、大陸は地球の表面にプレートと呼ばれる薄い膜の上に乗って移動していることがわかりました。これがプレートテクトニクス理論です。この理論によってヴェゲナーの大陸移動説は一般的に認められるようになりました。


プレートテクトニクスについての参考ページ&リンク集
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ES_PT.html


 大陸移動説とプレートテクトニクス理論によって、現在の生物分布は大陸の分裂により大きな影響を受けていることがわかってきたということです。このような大陸移動や陸地の分断や衝突によって生じる生物相の分布は、分断分布(vicariance)と呼ばれています。しかし一方で、海洋島のような一度も陸地と接したことのない場所では、他の場所から生物が分散(dispersal)して定着することが必要で、分断分布よりその重要性が高いと考えられます。


 分断分布は過去の大陸や陸地の移動経路を知ることで、各生物の起源を探ることができるので、予想可能な仮説を立てやすい。しかし、分散はランダムにおこると考えられていたため、仮説を立てにくく科学的なテーマになりにくいと言われてきました。1970年代から1980年初頭にかけての論争では、分断分布の重要性を主張する学派が学会では有意な立場にあったようです。


 一方、近年のDNAなどの分子系統解析を用いた生物相の研究は、その起源を推定する新たな根拠を示しました。つまり、生物相形成には、分断分布だけではなく、分散も考えていた以上に重要そうだということがわかってきました。また、分子系統の研究は、分散パターンは必ずしもランダムでなく、一定の方向性があるという証拠も与えてきました。例えば、ハワイ諸島では島の形成順序に従って分散が起こっているという‘progression rule’を証明しました。さらに、これまで分断分布の重要性が高いと考えられてきたニュージーランドニューカレドニアの生物相形成においても、海を渡っての分散が重要な役割を果たしてきたのではないかという意見も出てきました。


 以上のように、一時期劣勢であった分布形成における分散の重要性は高まりつつあるように思います。もちろん、大陸や大陸島のような場所での分断分布は、今もかわらず重要であると考えられています(特に哺乳類やカエルなど)。しかし面積は小さいものの生物多様性(固有種の多さ)の相対的な重要性が極めて高い海洋島において、その生物相の形成に分散が重要であるのは間違いないでしょう。


 以上のような論争は、生物地理学の分野では特に、分散/分断分布論争(Dispersal vs Vicariance Debate)と呼ばれ、しばしば話題になるようです。


文献
Cowie RH, Holland BS (2006) Dispersal is fundamental to biogeography and the evolution of biodiversity on oceanic islands. Journal of Biogeography 33: 193-198.


 似たような論争は19世紀のダーウィンの時代にもありました。当時、生物の隔離分布を説明する仮説として、仮想大陸(レムリア)の存在が考えられていました。例えば、マレー諸島とアフリカ大陸とは陸橋によってつながっていたというものです。また、ガラパゴスといった海洋島でさえ大陸と陸橋でつながっていたと考えられていました。大陸移動説やプレートテクトニクス理論が出たのは20世紀になってからですから、当時は仮想大陸や陸橋の存在が真面目にとりあげられていました。ウォーレス(Alfred R. Wallace)や、著名な地質学者であるライエル(Charles Lyell)さえもこの説を信じていました。しかし、ダーウィンだけがこの仮想大陸や陸橋を明確に否定し、分散の重要性を説いていました。彼自身、種子の海水耐性などを調べていたくらいです。ウォーレスがマレー諸島など主に大陸島で調査を行っていたのに対し、ダーウィンガラパゴス諸島といった海洋島でのフィールドワーク経験があった差なのかもしれません(ただしウォーレスは後年しだいにダーウィンの説に傾いていったそうです)。


参考文献
A.R. ウォーレス著 マレー諸島