なぜ今の研究に興味をもっているのか、というのを考えさせてくれた講演

 普段、学会発表や招待講演以外では滅多に講演を聴きに行くことはありません。もともと出不精な性格ということもあるのですが、論文を読んだりすれば新しい研究の知見は得られますし、学会発表のついでに聴ける講演でも多くの情報が入ってきます。大学にいれば、悪くいえば「石」ばかりな卒論・修論発表会をたくさん聴かされるため、食傷気味ということもあるかもしれません。


ともかくも約2年ぶりに休日に講演会に出かけました。では、どういう講演会なのか。それは、わかりやすく言えば憧れの研究者の講演です。2年前に出かけたのも、別の研究者ですが、日頃から研究の動向を楽しみにし憧れを抱いている方の講演でした。いずれの講演も比較的一般向けのもので、実はその内容はほとんど知っているものばかりでした。今日聴いた講演にしても、1時間くらいに登場した研究内容については(わずかな未発表のもの以外)すべて知っていました。自分でも驚きましたが、関連するすべての論文に目を通しており、「これはこの説明では初めて聴く人にはわからないだろうなぁ」ということまで想像できるほどに。おそらく講演者以外で、聴衆の中で最も深く理解できているのではなかったか、という変な自信まで湧いてきました。これは大好きなミュージシャンのライブで、すべてのCDや音源を持っていて、かつ(歌詞を暗記して)一緒に歌っている状態に近いのかもしれません。


すべての講演内容を知っていたからといって、聴きに行った意味がなかった、と言いたいわけではありません。むしろ、現在取り組んでいる研究や学問になぜ興味をもったのか、ということを思い出させてくれた幸せな時間だったと言えます。学部時代に読んでいた本、先達の導き、大学院に入ってから感銘をうけた論文、講演者や他研究者との出会い・交流・影響、登場した植物や昆虫についてなど、いろいろな想い出が次から次へと湧いてきました。


講演後は、一緒に聴きに行った昔からの知人と喫茶店で紅茶を飲みながら小一時間語り合いました(これもファンのオフ会みたいです)。一人になった帰りの電車では、今の学問への関心がいかに変遷してきたのかを改めて思い出し、いろいろな人や文献から刺激・影響を受けてきたことを再認識しました。


 初学者の頃の学問への興味の芽生えのようなものを思い出すことは、マンネリ化しがちな研究生活の中では良い刺激になります。学部生の頃に熱心に読んだ今日の講演者が書いた章を本棚から取り出し、当時のことを思い出しながら、その思いを記録に留めておこうと久しぶりに書いている次第です。