緑ひげ効果とは

 昆虫などが他の動物から捕食されるのを免れるために、その体色や形を背景である草木の色に似せるのを隠蔽的擬態と呼ばれており、その体色を隠蔽色と呼んでいます。一方、自らが危険であるとか毒をもっていることをアピールするために派手な体色をもつ昆虫などが知られており、これらの体色を警告色と呼んでいます。本来は毒でも危険でもないのに、警告色をもつ動物に似せることで捕食者から免れる現象はベイツ型擬態と呼ばれます。また、警告色をもつ種同士が同じ色彩パターンになる現象はミュラー型擬態と呼ばれます。


擬態の進化―ダーウィンも誤解した150年の謎を解く


という本を読んでみました。熱帯に生息するチョウで、メスだけに現れるベイツ型擬態が知られています。これを性選択ではなく、メスのチョウに働く強い捕食圧で説明した新しい仮説について述べられたものです。また、擬態やベイツ型擬態にかかわる研究や人物について、さらに著者が研究論文を発表する過程なども詳細に紹介している点で興味深く感じました。


 さて、この本のメインテーマとは違いますが、「警告色の進化」ついて比較的詳しく解説されていたので、その後の研究などをふまえてちょっとまとめておきます。


 隠蔽色は、少しでも背景に似た変異をもつとその個体が(捕食者に発見されず)生き残りやすくなるため、自然淘汰によって進化することは想像しやすいでしょう。一方で、警告色についてはそれほど簡単には説明できません。鳥などの捕食者は、生まれてから後、毒をもつ警告色の昆虫などを食べることではじめて警告色を学習すると考えられています。つまり、少しでも目立つ色(警告色の最初の段階)をもった変異個体は、たとえそれが毒をもっていても、学習をしていない鳥に襲われる可能性があります。つまり、警告色とその毒を天敵によって認識される必要があり、常に犠牲者を伴います。「目立つ色をもつ」ということ自体が他の目立つ色をもつ個体に対して「利他的な行動」となってしまいます。つまり、そのような利他的な個体の遺伝子は個体群内には広まりにくく、「目立つ色」は進化しにくいということになります。


 昆虫の中には、同じ卵塊から生まれた幼虫同士が集合して生活し警告色をもっている場合があります(例えば、集合性をもった派手なガの幼虫など)。同じ兄弟姉妹と一緒に生活することは警告色の進化がおこる条件になりえます。つまり、同じ親から生まれた血縁度の高い(多くの遺伝子を共有する)個体間では利他的な行動が進化しやすいからです。ミツバチのワーカーたちが自らの子供を残さずに利他的な行動をとることは、血縁間に働く淘汰によって説明されています。


しかし一方で、警告色をもつ昆虫は必ずしも兄弟姉妹と一緒に暮らしているものばかりではありません。むしろ単独で生活している種が多いくらいです。この場合、「緑ひげ効果(Green Beard Effect)」という考え方で説明できるそうです。これはもともとハミルトン(W. D. Hamilton)の1964年の包括適応度理論の論文で示唆されたもので、後にドーキンス(Richard Dawkins)が「利己的な遺伝子」の中で名付けたそうです。



テントウムシの警告色(これにベーツ型擬態する昆虫も多い)


緑ひげ効果は、次の3つの表現型を作り出す遺伝子によって引き起こされる

  1. 人間に例えれば、自分自身に緑の顎ひげのような、他人とは異なる目立つことで認識が容易となる特徴を形成する。この認識できる特徴にちなんで、緑ひげ効果と名づけられた。
  2. その認識できる自分と同じ特徴をもつ個体と、もたない個体を識別できる能力がある。
  3. その認識できる特徴をもつ他個体に対して利他的に振る舞える。

 つまり、この遺伝子は、「緑ひげ」のような共通の表現型によって認識することができ、そのような表現型をもつ個体に対してお互いに利他的に振舞うことで互恵援助する、というものである。この考え方は、一見利他的に見える行動を、利己的な解釈で説明を試みたものである。


擬態の進化―ダーウィンも誤解した150年の謎を解く」p.115-116から引用


 実際、ドーキンスが「利己的遺伝子」の中で述べている文章を以下に引用してみます。


利己的な遺伝子とは何だろう?それは単に一個のDNAの物理的小片ではない。原始のスープにおいてそうであったと同様に、それは世界中に分布している、ここのDNA片の全コピーである。そうしたいときにはいつでもまともな用語になおせるという自身があるなら、不正確を承知の上で、遺伝子が意識的な目的をもっているかのように語ることができよう。そうしたら、われわれは次のように問うてみることができる。では個々の利己的な遺伝子の目的はいったい何なのか。遺伝子プール内にさらに数をふやそうということ、というのがその答えである。それ、つまり個々の遺伝子は、基本的には、それが生存し繁殖する場となる体をプログラムするのを手伝うことによって、これをおこなっている。(中略)重要なのは、遺伝子が他の体に宿る自分自身のコピーをも援助できるらしいという点である。もしそうであれば、これは個体の利他主義としてあらわれるであろうが、それはあくまで遺伝子の利己主義の産物であろう。
(中略)
色白の肌とか、緑ひげとか、その他の目立つ特徴といった、外からみえる「レッテル」と、その目立つレッテルの持ち主にとくに親切にする傾向とを同時に発現させる遺伝子が生じることは、理論的に可能である。ただし可能だとはいってもとくに可能性が高いわけではない。(中略)同一の遺伝子があるレッテルとそのレッテルに対する的確な利他主義との両方を生み出すことはおそらくあるまい。にもかかわらず、「緑ひげ利他主義効果」は理論上は可能なのである


利己的な遺伝子(増補新装版)」p.128-130から引用


 つまり、ハミルトンやドーキンスが明記しているように、遺伝子の間に淘汰圧が働くもとでは、たとえ血縁関係にない個体間でも、「緑ひげ」という目立つレッテルを発現させる遺伝子の存在によって、利他的な行動が理論的には進化しうるというわけです。


 当時(1976年)ドーキンスはこの「緑ひげ」の遺伝子が実際存在するかどうかはわからないとしていましたが、近年その存在を示唆するいくつかの事例が発表されつつあります。


 最初は、「擬態の進化」の中でも紹介されている、1998年にネイチャーに発表されたヒアリでの研究です。ヒアリは単女王コロニーと多女王コロニーをもつ種です。多女王のコロニーでは必ずしも血縁度が近い女王からなるわけではありません。多女王コロニーでは、ある種の体表の匂いをもつ女王だけが受け入れられます。この匂いに関係するある遺伝子を持たない女王は即座に殺されます。つまり、この匂いの遺伝子をもつ女王同士は利他的にふるまっているということになります。


 二つ目は、2003年にサイエンスで発表された細胞性粘菌の一種キイロタマホコリカビについての研究です。キイロタマホコリカビは、単細胞のアメーバ状態で捕食活動を行っていますが、細胞粘着タンパク質を使って他の細胞と一緒になって子実体を形成します。この細胞粘着蛋白に関係するある遺伝子をもつ細胞同士は互いに選択的に集合することが示されました。


 三つ目は、2006年に米国科学アカデミー紀要に発表されたワキモンユタトカゲに関する研究です。このトカゲの雄には色彩多型があって、遺伝的近縁度に関係なく青色の体色をもつ雄個体同士は協力してなわばりを形成し防衛します。他の体色型の優占度による年変動はあるものの、協力した同士が利益を受ける場合もあるようです。ただし、なわばりの協同に関連する遺伝子は、体色に関係する遺伝子とは異なる場所(連鎖群)にあるようです。


 四つ目は、2008年にセルに発表された子嚢菌の一種、出芽酵母に関する研究です。出芽酵母は単細胞で、ストレス環境下では凝集体をつくって(細胞が集まり)互いに身を守ります。細胞膜のタンパク質に関係するある遺伝子が発現する細胞は凝集体によって守られ、遺伝的近縁度に関わらずその遺伝子が発現していない細胞は突き出されることが示されました。


文献および関連ページ
Keller L, Ross KG (1998) Selfish genes: a green beard in the red fire ant. Nature 394: 573-575.


Queller DC et al. (2003) Single-gene greenbeard effects in the social amoeba Dictyostelium discoideum. Science 299: 105-106.


Sinervo B et al. (2006) Self-recognition, color signals, and cycles of greenbeard mutualism and altruism. PNAS 103:7372–7377.


Smukalla S (2008) FLO1 is a variable green beard gene that drives biofilm-like cooperation in budding yeast. Cell 135:726–737.


Wikipedia: Green-beard effect


 まだ検証例は多くはないものの、「緑ひげ効果」を引き起こす遺伝子の証拠は今後も出てくるでしょう。警告色をもつ動物はけっこう多く、しかもこれに(ベーツ型)擬態する種もまた多いので、もし「緑ひげ効果」が引き起こしたものなら、かなり普遍的な現象なのかもしれません。ただし、警告色や擬態を進化させた「緑ひげ効果」の証拠はまだ見つかっていないようです。