島の生物地理学の理論:ウィルソンによる回想

 昨日紹介した書籍「The Theory of Island Biogeography Revisited(島の生物地理学理論の再検討)」について。編者による序文を読むと、2007年に「The Theory of Island Biogeography(島の生物地理学の理論)」出版40周年としてハーバード大学にてシンポジウムが行われ、その講演者による寄稿によって編まれた本ということだそうです。


The Theory of Island Biogeography at 40: Impacts and Prospects
to be held October 5-6, 2007.
http://network.nature.com/groups/zoology/forum/topics/2496


 開催場所であるハーバード大学の比較動物学博物館は、ウィルソンと編者のLososの勤め先でもあります。講演者リストをみると、ハーバードで甲虫類の系統進化を研究している Brian D. Farrell 以外のすべての演者が寄稿しており、唯一 William F. Laurance だけが新たに執筆者として加わっているようです。


 プリンストン大学出版のページから、ウィルソンの章がダウンロードできるようです。他の章はかなり専門的な内容ですが、この章は平衡理論のアイデアの背景や、実証のための野外研究の様子などが図や写真入りで述べられており読みやすいと思います。


Island Biogeography in the 1960s(1960年代の島の生物地理学)
by Edward O. Wilson

http://press.princeton.edu/chapters/s9096.pdf


簡単な要約をメモしておきます。


1950年代初頭:大学院生の頃(1950年代初頭)、William D. Matthew によって示唆されてた新生代の哺乳類の分布パターンと起源に関する研究(1915年)、および Philip J. Darlington によって示唆されていた両生は虫類と魚の分布パターンとその起源に関する研究(1948年〜)に触発された。


1954-1955年:3年間自由に研究を行えるハーバードの奨学金を受けて、メラネシアの島々(ニューギニア、バヌアツ、フィジーニューカレドニアなど)でアリ相の調査を行った(すべての新規ポスドクに同様の機会を与えてほしいと強く望む)。このデータから島におけるアリの分布パターンを考察した結果、「タクソン・サイクル(Taxony Cycle)」のアイデアを思いついた(Wilson 1959 Evolution 13:122-144)。これは、小さな島へは、砂浜などの環境(Marginal Habitats)に適応した種が入植し、小さな島では元来アリ相が乏しいため(競争者などが少ないため)「生態的解放(Ecological Release)」がおこり、森林内などの環境(Inner Rain Forest)に分布を広げそこで適応し新しい種に分化するという過程をいう。新しく分化した種が再び周辺部の環境に分布を広げることでサイクルする。


1959年:マッカーサー(Robert H. MacArthur)と出会う。当時、分子生物学の隆盛により、生態学、進化生物学は、新たな発展を強いられていた。メラネシアで集めたアリのデータ(種数―面積関係)や競争、移入、絶滅に関するアイデアを披露したところ、マッカーサーはすぐに、種数に対して移入率と絶滅率のカーブを描き、その交点に平衡点を見いだした。我々はこの簡潔なアイデアを1963年に提唱し(MacArthur & Wilson 1963 Evolution 17:373-383)、1967年にはプリンストン大学出版の個体群生物学・進化理論の第一巻として出版した(The Theory of Island Biogeography)。


1965年:平衡理論を野外で検証するために、フロリダ・キースの島嶼群に目をつけた。フロリダは私の生まれ育ったアラバマに近いので生物相には馴染みが深い。当初はハリケーンによって島から一掃された生物相の回復を見ようとしたが、ハリケーンの頻度は低く予測は難しかった。ちょうど大学院生のシンバーロフ(Daniel Simberloff)がこの研究に加わり、島(直径10-20m程度の小さな島)の植物(マングローブ)に害を与えず、動物相(主に節足動物)を除去する方法を検討した。短期間の効力がある殺虫剤を撒いたが、幹や枝などの中に潜りこんでいる甲虫類などは生き残っていた。そこで、島にシートをかぶせメチル・ブロマイドを使って島を燻蒸するという手法を用いた。すべての動物は死滅したが、マングローブに影響はなかった。燻蒸後の野外調査はシンバーロフが主に行い、私は種の同定やその依頼などマネジメントを担当した。
 2年間ですべての島で以前と同程度の種数に回復したが、最も他の陸地から離れた島では回復が遅く、種数も少なかった。驚いたのは、回復した種数は以前と同程度であったのに、その種構成は変わってしまったことだ(Simberloff & Wilson 1969 Ecology 51: 934-937)。これは、種の移入と絶滅(ターンオーバー)を繰り返しその動的平衡点がその種数であるという我々の理論が、非常に小さな島でも適用できたということだ。


 マッカーサーとの交流、野外実験の様子などは、ウィルソンの自伝「Naturalist」(邦訳:ナチュラリスト〈下〉)などにより詳しく述べられています。ただしウィルソンの文章はピューリッツァー賞を二度も受賞したほど格調高いようで、日本人が読むには疲れる気がします。また、翻訳版は専門用語や生物名などの訳がとてもまずくて、かえって疲れるかもしれません。内容はかなりおもしろいので、専門家に相談しながら訳出してほしかった。別の人が改めて訳してくれないかなあと真剣に思います。


ちなみにウィルソンによる「生命の多様性〈上〉 」「生命の多様性〈下〉」の翻訳版は読みやすく、内容はちょっと古くなりつつあるけれど生物多様性を研究している人、関心がある人には必須でしょう。それにしても、島の生物地理学、社会生物学アリ学、生物多様性など、多くの分野で名を残しているというのも本当にすごいことです。