ウォーレスを苦しめたスラウェシの起源:陸塊の衝突

 ウォーレス(Alfred R. Wallace)は、ダーウィンと同時期に自然選択説を提唱した博物学者として著名ですが、生物地理区である東洋区とオーストラリア区を分けるウォーレス線としても名を残している生物地理学者です。


 彼は8年にもわたるマレー諸島の博物学調査によって、オウムの分布から、東洋区とオーストラリア区の境界をスラウェシ島(当時はセレベス島)の西におきました。しかし彼はその後、いろいろな動物群を検討し、スラウェシ島を東洋区に入れるべきか、オーストラリア区にいれるべきかについてかなり悩んだようで、境界をスラウェシの東に移しました。以後の研究でも淡水魚を使ったウェーバー線などいくつかの境界線が提案されました。しかし、現在では、明確なラインをひくというよりは、スラウェシ島を通る一帯をウォーレシアと呼ぶ移行帯とするのが一般的です



Kの字をしたスラウェシ島Googleより)


 さて、なぜスラウェシはウォーレスを悩ましたのか。それほどまでにスラウェシ島の動物相が特異であったからです。つまり、選ぶ動物のグループによって、スラウェシは東洋区のように感じたり、オーストラリア区に感じたりしたわけです。ウォーレス自身は当時の主流な考えであった仮想大陸を信じており、スラウェシがアフリカなどと陸橋でつながっていたのではないかと考えていたほどです。


 彼らを混乱させたのは、スラウェシ島の起源が思った以上に複雑だったからです。現在一般に認められているプレートテクトニクス理論では、スラウェシ島は、ユーラシア陸塊の一部と、オーストラリア陸塊の一部、そして太平洋の島弧(海洋島?)の一部が衝突してできたと考えられているようです。Kの字に似た変な島の形はこれが原因なのでしょう。このようなプレート境界域での陸塊の衝突は、インド亜大陸ユーラシア大陸への衝突(インド半島)、伊豆諸島の本州への衝突(伊豆半島)などでみられます。


以下のサイトではスラウェシ島の形成をアニメーションで見られます
http://searg.rhul.ac.uk/current_research/plate_tectonics/sea_2001_svga.mov

図の見方
数字:過去55から現在0
色分け:黄色(アジア陸塊)、赤(オーストラリア陸塊)、緑(太平洋諸島)


原著(上記の動画の元になった)論文
Hall R (2002) Cenozoic geological and plate tectonic evolution of SE Asia and SW Pacific: computer-based reconstructions, model and animations. Journal of Asian Earth Sciences 20: 353-431.


 スラウェシ島はその形成(衝突)以来、一度も他の島や大陸と陸続きになっていないため、独自の進化が起こってきたと考えられます。しかも上記のようにユーラシアとオーストラリア起源の種が元になっており、哺乳類では、127種いる哺乳類のうち79種(62%)がスラウェシ島にしか見られない固有種であることが知られています。固有種バビルーサはけっこう有名でしょう。


参考文献
A.R. ウォーレス著 マレー諸島〈上〉


A.R. ウォーレス著 マレー諸島〈下〉