「博物館行き」という言葉にみられるように、現代では「博物学」とか「博物学者」と呼ばれるのは、あまり名誉なことではないかもしれません。しかし、自然史(ナチュラルヒストリー/natural history)を研究している学者を、ダーウィンやウォーレスの流れをくんでいる者として敬意をこめて「博物学者」と呼びたいところです。
特に、ダーウィンやウォーレスは、野外で観察したデータや文献情報に基づいて、さまざまな理論(仮説)を提唱してきました。このような研究スタイルは、何も19世紀の博物学者に限ったものではありません。ヴァーメイ博士(Geerat J. Vermeij)もこのようなアプローチを行う研究者の一人です。例えば、彼は高緯度海域よりも熱帯海域に生息する貝類の殻が硬くその殻口が複雑に入り組んでいることに注目しました。博物館の貝殻標本を丹念に調査し、貝殻に残された傷跡が熱帯域では多いことを発見しました。さらに、捕食者であるカニ類の貝類捕食行動を実際に観察し、熱帯域で殻が硬かったり、殻口が入り組んでいるのは、カニ類などの捕食者に対する防御の結果であるという仮説を提唱しました。
ヴァーメイ博士がダーウィンらと少し違う点は、以前にも紹介したとおり、彼が全盲だという点です(参考:海より陸上で種多様性が高い理由)。目が見えないゆに、多くの研究者とは違った視点(触覚)で、貝殻の堅さに注目したのかもしれません。
ということで、ヴァーメイ博士の発想の豊かさとその秘密を知りたいと思い、自叙伝(翻訳版)を読んでみました。
簡単に半生を要約しておきます。
- オランダに生まれる
- 3歳の時に両眼摘出による失明
- 全寮制の盲学校での生活
- 9歳の時に家族で米国(ニュージャージー)に移住
- 小学校の頃、貝殻に興味を抱く(後に博物館を訪問したり、学会に入会する)
- プリンストン大学に入学(ロバート・マッカーサーなどの著名な学者と出会う)
- 卒論としてヨーロッパイガイの形態的多様性に取り組む
- エール大学の大学院に進む
- 中南米・環太平洋域の熱帯海域でのフィールドワークを行う
- ジョンズ・ホプキンズ大学とメリーランド大学の教員公募に応募し、後者でオファーを受ける。
- メリーランド大学に就職
- NSFを獲得しほどなく終身雇用となる
- エール大学時代から朗読をしてもらっていた大学院生と結婚
- 熱帯海域よりも高緯度海域の貝殻が堅いのは、その捕食者である魚類やカニに対する防御の結果であることを示す
- ハーバード大学出版会から生物地理学に関する本を出版する
- 進化学に関する本を出版する
- カリフォルニア大学デービス校に誘われ移籍する
次に、盲目の研究者に抱く質問に対する答えもあります。
Q. 学生時代、どのように進学し勉強してきたのか?
A. 進学にあたって全米盲人協会の委員による審査を受け、それが認められ、学業にかかわる資金を与えられた(就職するまで援助を受けた)。その資金をもとに、学内で学生バイトを雇い文献を朗読してもらう。授業内容は、点字のノートをとって学んだ。
Q. どのように研究論文を読み書きしているのか?
A. NSFなどの研究費でアシスタントを雇い、論文を朗読してもらう。聞きながら要約の点字 メモをとり、これらを整理番号に編んだものが彼自身にとっての重要な文献データベースととなる。執筆は、自身が点字タイプライターを使って書いた複数の原稿(文章)をもとにはじめ、投稿前に何度も修正を繰り返し、最終的にアシスタントが原稿をタイプしたものを投稿する。
Q. どのようにフィールドワークを行うのか?
A. 研究費でアシスタントを雇いフィールドに同行してもらう。視覚以外のさまざまな感覚を使って観察する。フィールドで深刻な事故にあったこともない。しかし、研究費を獲得するにあたって、さまざまな偏見があり(旅費使用の認可が下りにくい)、そのたびに説明する必要がある。
他にも、学位論文への取り組み方、自身の論文に対する批判に対する態度(最終的に批判グループと一緒に総説を書く)、研究者の就職・移籍の方法、教育への考え方、専門誌の編集者としての考え方(例えばトリッキーなアイデアでも一定割合は掲載するようにする)などなど、研究者としてのヴァーメイ博士の真摯な生き方にも感銘を受けました。ただし、米国以外の環境でこのような研究者が育つことが可能なのかどうか、色々と考えさせる書でもあります。
個人的には、これほど良い本に出会うことは滅多にありません。今後も何度か再読する書となるでしょう。
A Natural History of Shells
ヴァーメイ博士の著書も記念に購入してみました。